佐々木家系図
傳之助 二男・勝司 妻・
長女・ケツ 夫・植木和雄
綱有 行年73歳 M14・3・26没 長男・正人 妻・美保子 長男・謙一郎、二男・有祐  世田谷
妻・ミヤ 行年87歳 M34・6・20没 二男・圭重 妻・ミネ 長男・修一 妻・ゆり子 二男・重人
長男・鉄麿 妻・ミヤ 子供なし 三男・
綱造 行年47歳 M33・2・2没    直江 長女
大沢姓 妻・ミネ M29・8・4没 (茂木町)          アトツマ新山ニイヤマテイとの長女チョウジョ秀子ヒデコ長男チョウナンヒトシ
妻・ハル 行年35歳 S20・7・13没 妻・貴美子キミコ   妙子タエコ
慶応元年生れ 行年57歳 S8・5・31没  長男 行年77歳 H2・1・1没  東京 T3・4・24生れ   長男 S13・3・22生れ 長男 S38・8・19生れ 妻・幸子 長女・真緒、二女・七海
鎌田勇次郎の 長女 妻・カメ 行年95歳 S58・8・25没 M21・1・12生れ 二男 行年1歳 T5年7・17没   長女 典子 S42・3・1生れ 夫・濱里猛 長女・由真、長男・陸
妻・フク 二女 もも代? 幼児期親戚の寺?の養女に 三男 行年?歳 横浜 妻・ヒサ子 長男・博、長女・満里子 二男 S45・12・20生れ 妻・智子 長男・滉
慶応3年生れ 三女 あん? 大宮安子 盛岡 長女 チヨ 板橋 夫・松崎進八郎 行年?歳 長男・豊、長女・千恵子、二女・由利子 三男 S47・11・9生れ 妻・ルイサ 長女・優衣 長男・俊 アヤ
四女 すみ 江口澄 東京 M30生れ 長男・江口勝弘、光子 二女 モモヨ 行年4歳 T15年7・19没 四男 S51・5・10生れ
五女 すえ 佐々木すえ 盛岡 M32生れ 四男 行年?歳 青森 妻・新山牧子 子供三人
六女 とく 高橋トク 岩手 M34生れ        H21年108歳、胆沢町で死去 三女 トシ 行年18歳 S18・8・6没
長男 耕一 M36生れ 長男・潤一 恵美子・かよ子 四女 ミヨ S7・2・23生れ 夫・安田淳作 行年?歳 長男・浩作、二男・憲二
二男 耕二 M38生れ 長女・武居玲子
七女 おさめ 上田納 盛岡 M40生れ 長男・恭敬
鎌田家の6女・とく、はH21年108歳で没、その他も80歳以上生存の長生き家計?
典は、陸軍中尉で第八師団・第五連隊勤務中に八甲田山の雪中行軍遭難事件が明治34年に発生、救助隊の指揮官
として出動した。このことは、津軽書房の「雪中行軍始末」に実名で記載せれている。その後、第八師団は「日露戦争」
に参戦している。そして病に倒れ、七戸町に果樹園を営むようになる。
カメは、鎌田勇次郎・フクの長女として生れ、盛岡高等女学校を卒業、小学校教師となる。鎌田家では長女と長男だけ
が高等科に行けたそうである。
鎌田家、典のことなど、鎌田潤一さん(いわき市在住)にいろいろと話を聞いて書き込んだものである。
恵美子さんは、H18・1・23、73歳で死去したそうである。
キュウ盛岡モリオカ藩士ハンシ桑田クワタ名簿メイボには、「ツナゾウ」の名前ナマエ登録トウロクされている。 「綱造」と「典」のこと
07年6月関東支部総会
 
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