編笠山〜権現岳
赤岳、甲斐駒ケ岳、仙丈岳
1960年頃
中央線、小淵沢駅より比較的安価な交通費で行ける山だったので、
このコースは何回もよく利用した。
新宿発23:55発、松本行きである。この列車は、山行列車といわれていた。
土曜日などは、リュックをかついだ若い男女で通路も占領されていた。
小淵沢には、早朝3時半頃に着く。そこから、編笠山めざして歩くのだ。
編笠山からは、八ヶ岳の権現岳を経由して、赤岳へ。
帰りは、小海線の甲斐大泉駅、または、清里駅に降りる。
編笠山の山頂。 山頂は、このような岩がゴツゴツしている。遠望は、南アル プスである。 | |
八ヶ岳の盟主、赤岳をバックに。 この時は、赤岳から東側の尾根、真教寺尾根を降りた。 鎖や鉄バシゴがある難所だった。 登りよりも下りが厳しい。 清里駅へ下った。 | |
真教寺尾根から、降りてきた赤岳を望む。 | |
’60年ごろの清里駅。 いまは、比べるべくもない。素朴な田舎の駅だった。 この頃は、登山姿は黒で統一していて、それが、かっこよい とおもっていた。左手に持っているのは、その頃の流行で、 トランジスター・ラジオである。 休みは、日曜日のみであるから、夜行日帰りの山行が多か った。この頃の山友達は、鏑木紀一だった。 |
甲斐駒ケ岳から仙丈岳に向う途中だとおもわれる。このあたりの沢ぞい で食べたメロンの甘さが 忘れられない。 |
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甲斐駒ケ岳の頂上だとおもわれる。 | |
仙丈岳をバックに・・ このあと、北沢小屋に泊まり、次の日に仙丈岳に 登った。 小屋では自炊で、私が 作ったトン汁がうまいと 鏑木は言ってくれた。 北沢小屋からは、戸台川を延々と下った。 長かったという印象であった。 |