中国旅行 北京 T>      2001・9・29〜

 9月29日、土曜日にもかかわらず名古屋空港は閑散としていた。

 駐車場も、空いていて、屋根つきのスペースに止めることができた。

 やはり、テロ事件の影響がでているものおもわれた。飛行機は、定刻をやや遅れて13時15分に飛び立った。上海経由で北京へは19時に到着した。

 上海も北京の空港も名古屋とは違って、凄い混雑である。どうしてかとというと、理由はすぐにわかった。中国では、「国慶節」といって、日本でいう建国の日にあたる日が、10月1日なのだそうである。日本の建国の日とはわけが違うようである。また、それを祝ってか、1日〜7日までが祝日で、「黄金週」といわれて、日本のゴールデンウィークなのだそうである。それで、民族の大移動が始まるというのである。何といっても、中国の人口は13億ともいわれているように都市部では、人、人の洪水である。

気候は、上海はやや暑かったが、気温は26℃ということであった。北京は寒いくらいで10℃代後半とおもわれた。

ツアー客は総勢26名で、13組の熟年夫婦であった。今回は、近畿日本ツーリストを利用した。

 

 北京には、17年前(1984年11月13日〜)に仕事で訪れたことがあるが、そのときとは、くるまの多さと、道路の整備が格段に進んだという印象が強くした。中国の象徴のような人民服はもうみられなくなった。服装は日本とそれほど変わらなくなっている。それにしても、道路の混雑というか、人と自転車、バイクやくるまが入り乱れて、それは凄い、人は信号が赤であろうと、くるまが少しでも間隔があいていれば道路を渡りだす、道路幅は広い、50〜100mはある、反対側からくるまがくれば、道路の中央でゆっくり歩きながらくるまのとぎれを待つ、という状態で、我々日本人がみると一見怖いとおもうが、当事者の中国人は怖いなどとは、当然のことであるがおもっていないようである。まるでサーカスをみているような錯覚さえ覚える。

 交通事故も多いようである、ガイドさんの話しでは、年間100万人の人が亡くなっているとか、人口が日本の10倍としても、日本では1年間1万人であるから、それにしても多すぎるとおもえる。交通事故対策もこれからの課題なのであろう。

 

 今回は、はじめて男性の添乗員だった。31歳だといっていた。てきぱきとしていて好感がもてた。中国のガイドさんは、銭さん<チェン>といった。この人も男性で、「5日間、一生懸命やりますから、皆さんも頑張ってください。中国旅行は、どこに行っても歩くことが多いです。」とクギをさされた格好である。日本にも留学をしたことがあるそうで、日本語は上手だった。

 

 次の日30日は、「万里の長城」の観光であるが、日曜でもあり「国慶節」の前日なので相当な混雑が予想されたので、出発を1時間早めて、7時15分にバスで長城を目指した。道路は、長城近くまで、高速道路が開通していた。

17年前にはなかった道路である。この道路は、5年前に開通したとガイドさんがいっていたから、17年前にはなかったのは当然である。1時間30分ほどで、万里の長城<八達嶺>に着いた。天気は快晴で、やはり人出は多かった。万里の長城は「月から見える唯一の建造物」といわれるように、地球上最大の建造物は、その雄大さ、歴史の深さで人びとのロマンをかきたてている、といわれているように、まわりを見渡すと、その雄大さに圧倒させられる。

 

駐車場からは、絵葉書や扇子などを買ってくれという売り子が、やたらと多い。ガイドさんが、ちょっとでもその気をみせるとどこまでもついてくるから、いらなければきっぱりと断ってくれと言われていた。「プゥーヨー」<不要>というか、全く無視してくださいと。売り子は、「10元!10元、安いよ!」と日本語で話かけてくる、いらない、というと「二個で10元」、「三個で10元」と値を下げずに数を増やしてくる。10元は、150円であるから、日本人からみれば決して高くはない、しかしいらないものを買うわけにもいかない。

 

万里の長城は、原型が、2500年も前につくられたものだそうだが、幅は10m以上、高さも30mはあるだろうか、それも山の尾根伝いに全長6000kmも続いているのだから、どうやって造ったのか想像もできない。人間は、大昔から争いごとが絶えなく、他の民族からの襲撃を防ぐために、多くの犠牲をはらってしかも長い年月をかけて建造したのであろう。人間同士の争いがなければ、このような長城は必要ないのであるから。人間を哀れに感じた、一瞬である。

この長城を1時間歩いた、歩いたというより、ちょっとしたレンガの道の山歩きであった。ちょっぴり汗をかき爽快であった。帰り頃は、人出がさらに増してきた。

 

次は、くるまで30分ほどの「明の十三陵」である。ここは、17年前とさほど変わらない、変わったところといえば、トイレであった。まあまあ、きれいになっていた。17年前は中国のトイレそのものであった。いまは、各国から観光客が押し寄せるので、世界基準に合わせたのであろう。17年前は、女性用はわからないが、小の方は横一列に並ぶものであるから、それほど違和感をもたなかったが、大の方は、囲いがなくオープンなものであったから、ちょっとはいれなかった。トイレの入り口に向って、薄暗い所に、しゃがんで用をたしている光景は異様にみえた。

こちらを向いているから、お尻もみえない、金かくしとはよくいったものである、ちゃんと金かくしが要をなしていた。

いまは、日本の公園にあるトイレとなんらかわらなかった。

 

明の十三陵は、明朝帝王13代の陵墓だそうである。13陵のなかでも一番古い陵は、長陵といわれるが、まだ発掘されていないという。次に大きい「定陵」は、第14代万歴帝と二人の皇后の陵といわれているそうで、ここだけは一般に公開されている。地下27mの地下宮殿の壮麗さに圧倒させられる。

 

ここからは、また高速道路を走り市内に戻る、途中で昼食をとった。水餃子料理ということであったが、中華料理独特の回転テーブルがあり、そこに次々と料理が運ばれてくる、飲茶のようであった。最後に水餃子が出てきたが、全部はとても食べきれなかった。そして、その店の1Fに土産物を売る店があり、そこに待望の「マオタイシュ」<茅台酒>が売っていた。アルコール度、53°、500mlが430元であった。安いのか、高いのかわからない。ガイドさんに聞くことにした、「お土産だとしたら、上海で買った方がよいかもしれませんよ」といわれたが、中国滞在中に飲むため、のつもりで340元に値引きするという店員の話なので買うことにした。結果的には、この買い物は安い買い物だった。

 

市内に戻ると、天安門から程近くの、北京銀座といわれる「ワンフーチン」<王府井>に案内され、1時間の自由時間があった。大きな百貨店が並んでいた。その中の一番大きいといわれる「東安市場」という百貨店に入った。10階建てぐらいであったであろうか、まず、エスカレーターでどんどん上に上がって、各売り場をみながら降りてくることにした。上階の方は、日本と同じで食堂街であった。靴売り場があった。ウォーキングシューズ売り場を覗いた、結構よさそうなシューズが目にとまった。値段は、50元であった。日本円で750円である。サイズを確認して買うことにした。店員がサイズの換算表を出してきて示してくれた。米人用、日本人用などと用意されていた。言葉が通じなくとも買い物は何とかなるものである。

次に、可愛らしい毛糸の帽子とマフラーのセットが目にとまった。

言葉は通じないが、子供がかぶるお土産だ、と、いうことがゼスチャーまじりで伝わった。値段は135元だった、2セット買うから安くならないかと、ゼスチャーと「デスカウント、ダウン」という言葉を連発して通じたようである。

店員は奥にいる上司に聞きに行って、戻ってくると電卓を片手に、135を108にするといってきた。2セットで216元だ、これで買うことにした。

こんな買い物も楽しい。品物を受取るときに、店員が何か言っている。このレシートをどこかへ持って行け、と、いっているようである。遠くの方を指差している。

人だかりがしている、抽選場のようである。そこに行ってみる。やはり福引きのようなもののようである。他の人がしているように、レシートを差し出すと、ボール紙の箱に入った抽選券のようなものをとれと言っているようである。

ひとつとると、まだ何か言っている、ようやく二人いるから2枚とれ、と、いうことらしい。その結果、大きなリンゴ二つに、ミネラルウォータを2本、ビニール袋に入れて手渡してくれ、さらに、何か言っている。どうも、下に行けと、と言っているらしい。

階段を降りて行くと、かなり下の階で、同じような福引きコーナがあったので、またレシートを差し出すと、また、抽選箱を出し、カードをとれといっているようだ、ひとつとると、もっととれといっているようだ。もうひとつとると、うなずいていたから、これでよいのだとおもった。ハズレなのか、何等なのかはまるでわからない。乾燥果物のようなものが入った菓子箱をふたつくれた。なんか、得をしたというか、面白い体験をして楽しくなった。そうこうしている間に、集合時間も迫ってきた。一階の集合場所に行かなければならない。

一階に降りる階段、エスカレータを探したが、なかなか見つからない。

段々、焦りを感じてきた、時間がなくなってきた。仕方なく、近くにいた店員に、得意?のジェスチャーで聞いてみた。わからないかなとおもいながら「下に行く階段は、どこですか?」というと、怪訝な顔をして「もう一度言ってください」というではありませんか。そうです、日本語が通じる店員だったのです。「下に行きたいんですけど」というと、「ここより下はありません、ここは地下ですよ」というのである。福引きに夢中になって、どうも地下まで降りてきてしまったらしい。とんだお笑いであったが、店員に礼をいって、急いで上にあがって集合時間内にはなんとかたどり着いた。

言葉が通じないときに、時にして、こんなハプニングもあるのである。これも過ぎてみれば、楽しい体験である。

 

朝早くに出発したためか、観光も順調にこなしたので、時間が少々残ったらしい。明日の予定の天安門観光をきょうにすることにした。天安門広場には多くの人びとが集まっていた。明日は、「国慶節」なのでもっと大変な人出になるだろうと、ガイドさんがいう。前の日のきょうでも大変な人出である、凧を上げている人もたくさんいる。天安門はライトアップされていて美しい。

 

夕食は、これも天安門近くの「全聚徳」という、かなり有名な店らしい。

天安門広場からは徒歩で行く距離であった。

ここで、「北京ダック」を食べることになっている。ここでも、やはり回転式の丸テーブルに料理が運ばれてくる。北京ダックは最後の方に出てきた。

これは、皮がこうばしくておいしかった。かなり食べたが、やはり食べものは残った。中国の風習では、客のもてなしは、残すほど食べてもらうことが、最大のもてなし、といわれているようなので、こんなにもたくさんの食べものが出るのであろうかとおもわれた。

 

こうして、北京観光の一日目が終わった。(正確には二日目、前日はホテルに宿泊だけだったので)

明日は、世界遺産の「故宮博物院」、「天壇公園」の観光で、夕方には飛行機で上海に移動である。

 

「北京 U」に続く。
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