オーストラリア旅行記 <序文>

            H13・1・27〜2・1 佐々木 武

海外旅行は、今回が三度目となる。

アメリカ西海岸、カナダなどに行きたいというおもいが強かったが、季節的に冬ということもあって、今回は、今は真夏であるオセアニア方面ということにした。ニュージンランドもよいとおもったが、より一般的なところとして昨年オリンピックが開催された、オーストラリアにすることにした。

 

六日間で、ブリスベン、ゴールドコースト、シドニーを巡るコースが手頃なので、今回は、はじめて近畿日本ツーリストのツアーとすることとした。

2001年1月27日名古屋を午後8時10分発である、集合時間は午後6時10分だ。出発の2時間前であるから、妥当な集合時間である。

いよいよ出発当日だ、朝から雨である。テレビの情報によると、御殿場以東は雪で東名は沼津、厚木間が通行止めだという。私たちは名古屋空港まで、くるまで行く予定にしていたので、東名の状況が非常に気になった。東名が駄目なら新幹線などに予定を変更しなければならない。テレビの情報だと沼津、名古屋間は雨だが80kmの速度規制があるだけで通行止めはないようだ。でも、念のためハイウエイサービスに電話で確認した。その結果、沼津から京都の手前の大津ICまでは雨だが通行止めはないという。さらに念のため、名古屋空港の駐車場に電話をする、勿論なんの問題もないという返答である、午後2時であった。

 

それでも、雨だしとおもい午後3時30分に家を出た。5時には名古屋空港に着く時間である。集合時間に1時間は余裕があるはずだった。まったく、だった、である。浜松西ICを東名に乗り順調に走っていると、突然、電光掲示板の文字が目に飛び込んできた。豊川〜岡崎間、雪のため通行止め、というものだった。思いがけなかったので、愕然とした。豊川〜岡崎間は一般道路の国道1号線を使うしかないと考えた。

豊川ICは、はじめて降りる道である。1号線に出るにも手間取ってしまった。

1号線は予想していた通り大渋滞だった。雪などはまったくない、高速道路の場合はほんの少しの雪でも安全のために通行止めにするのだろう。音羽の近くに来て、近くの山が薄っすらと白くなっていた。まだ、岡崎には10km以上ある、これでは集合時間にはとても間に合いそうもない。そばを名鉄線が走っているので、くるまをすてて名鉄で名古屋に向かおうかという考えも頭に浮かんだが、くるまを止めるところを探したり、また名鉄でどのぐらいの時間がかかるのかも全くわからず、その考えは捨てることにした、どうしたら、くるまで如何に早く名古屋につけるかを考えた。まず、1号線はこのまま岡崎ICまではこの大渋滞が続くと考えなければならない。裏道はないかと、女房に地図をみてもらったが、無駄であった。ここで、運転を女房と変わることにした。

私が地図をみて女房に道案内をし、岡崎のICを目指した。名鉄ぞいの細い道である、しかしその道は岡崎方面に続いている、道は細いが渋滞もなく順調に岡崎に近づく、まもなく岡崎ICというところで、ICを少し先にいき廻りこんで反対側からICに入ることにした。東名のほんの一部の通行止めがこんなにも大きな影響をもたらすのかと、おもいしらされた。

 

こんなことにより、岡崎ICに無事到着し何となく集合時間には無理だが、7時ちょっとすぎには空港に着けそうな期待がでてきた。東名を名古屋までとばし、あっという間に名古屋ICに到着した。ここからは名古屋高速にのり、楠ICで降りれば空港はすぐ目の前である。ところがである、名古屋ICで大きな間違いを犯してしまったのである。東名を名古屋ICで左に折れ、名古屋高速方面に行く分岐点で、東名阪という表示と名古屋という表示が出た。私は、迷ったが、とっさに名古屋の方に向かった、そしてすぐに反対だと悟ったが、料金所がすぐそこにあったので料金所で聞いてみた、「東名阪に乗りたいんだが」というと料金所の人は、「ここからも行けますよ」という。

 

料金所を出て名古屋市内に入る、とくに東名阪方面の標識もないので真っ直ぐに進む。信号で止まったときに後ろのくるまに、空港はどっちのほうか聞いてみた、そうしたら、高速に乗ってもまわり道になるので、このまま市内を走ったほうがよいといわれ、おおよその道順を聞いた、空港方面という標識がでると教えてもらった。

ところが、いくら走っても空港方面の標識がでてこない。また、近くのくるまに空港はどっちの方角かを聞いてみた。右の方向だという、でも結構時間がかかるようなそぶりだった。いわれる通り右に曲がってみた、あまり広い通りではない、まったく方向感覚を失ってしまった、どこを走っているのかさえわからなくなってしまった。

 

時間もかなり経過している。ここで私は今回の旅行の参加を諦めた。そして女房にあやまった、道を間違ったばかりに今回の旅行は諦めてくれと。「仕方ないじゃない」といってくれたのが、せめてものなぐさめとなった。

それでも空港にだけは行こうと考えていた。このような場合はキャンセルということになるのか、確かめなければならないと思った。そんなことを考えながら走っていると標識がみえてきた。多治見方面と小牧方面の分岐点のようだ、名古屋空港は小牧にあることを思い出し、とっさに小牧の方向にハンドルをきった。少し走ってからガソリンスタンドがあったので、空港の道順を聞いた。大体わかったが、スタンドの人の話しではいまの時間は混むので1時間はかかるという。もう7時である、これでは間に合うはずもない。もう、のんびり走ることにした。気持ちにようやくゆとりのようなものが出てきた。いままでは地図をみるゆとりもなかったようだ。

そうしているうちに、空港という標識がみえてきた。もう空港も近いようだが、7時30分である、ギリギリでアウトかと忌々しい気持ちになってきた。

遅れるならまったくの遅れであれば諦めもつきやすいのに、などと考えていた。

 

それでも、空港に着くとすぐに公衆電話から電話を女房にしてもらった。くるまは車道に止めている、他のくるまがびっしりと駐車している、私の車は二重駐車ということになる、運転手は乗っていなければと運転席で待っていた。

すると女房が公衆電話のところから、なにか叫んでいる。遠くてよくわからないのでくるまから降りて近づいてみると、「身体だけでよいから、大至急三階の搭乗カウンターまできてください」といっているという。

くるまはそのままに、女房と三階まで走った。三階のエスカレーターの前には添乗員と男性社員が待っていた。ふたりとも緊張した面持ちだった、切羽詰っているという状況が伝わってくる。

 

とにかく、パスポートを出してくれという。ふたりのパスポートを手に添乗員は航空会社の搭乗窓口に走った。我々は男性社員とともに、くるまに置いてあるスーツケースをとりに一階のくるまのところまで走った。スーツケースを預けるのにあと2分しかないということだった。

男性社員は手際がよく、機敏に動いた。くるまからスーツケースを引っ張り出し、自分で引いてどんどん走る。私たちはその後に付いて行くのがやっとだった。

そんなことで、添乗員や男性社員のおかげでなんとか飛行機に間に合い、諦めていた旅行に参加することができたのである。

飛行機のシートに座ってほっとする間もなく、離陸した。空港の車道に止めてあるくるまは、男性社員が空港の駐車場に止めてくれるといっていたから、安心であろう。なにかこのシートに座っていることが信じられない気持ちだった。

女房も同じ気持ちだと言っていた。

 

多分、今回のこの経験は一生思い出に残る出来事だと思われる。こんな間一髪の経験はしたくてもできないだろうし、二度とこんな経験はしたくないと感じていた。

しかし、なにはともあれ、旅行の開始である。オーストラリアの北方の都市、ケアンズに向けて約6時間30分の飛行である。機内泊だから寝なければ。

 

  本文に続く。

ブリスベン編へ続く

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