ヨーロッパ旅行記 <フランス編> H12・6・2〜5

ジュネーブからTGVに乗り、フランスのリヨンまでの列車の旅である。6日目だ。

日本の新幹線とよく比較されるが、比較してはいけないと思う。国情というか、道路の整備状態、航空網の状況などにより、鉄道網はさほど重要視してないような気がする。

 だからか、新幹線と比較すると、TGVは客室もスピードも見劣りする。ジュネーブから30分ほどで、スイスからフランスに変わる。国境をこえるのだ、なんということもない、特に変化はないのだ、ヨーロッパ全体がひとつの国なのだろう。ユーロ、EUなど通貨を統一することがすでに行われている。国境を越えた変化といえば、列車内の売店がオープンしフランスフランが使用できることぐらいか。われわれも、コーヒーを注文してみた、中年のひげをはやした制服をきたおじさんが、にこにこして紙のコーヒーカップを2個両手にかざしている。なんのことかよく分からなかったが、両手のカップは大小、大きさが違っていた。大きいカップ、それとも小さいコップ、という意味らしい。私は小さいカップを指さした。おじさんはさらににこにこして、わかった、わかったと、いうようにうなずいていた。

 後で分かったことだが、大きいカップも小さいカップも値段は同じなのだそうだ。

 分かっていれば、大きいカップにしたのに、とちょっぴり悔やまれた。ここにも貧乏性の根性がでてしまったか。

 

 リヨン駅からは、パリの街中はすぐそこだ。バスで街中を走りセーヌ河ぞいの、ノートルダム大聖堂で記念写真を撮る。

 これから、セーヌ河クルーズだ。天気もよいせいか大勢の観光客が乗船していた。例によって、上半身はだかの人たちが目についた。

 船が動き出してすぐ、アレクサンダー3世の橋をくぐる。橋の両側には馬にまたがった騎士の像が金色にかがやいてたっている。橋の欄干には沢山の兵士の像が整然と並んでいる。

 本当に古いものを現代のものとうまくマッチングさせて、残している。街の中はすべてそうだ、ビルにしても高層ビルはない、4・5階どまりだ、そのビルの外壁にもいたるところに、騎士のような、なにかの像が飾られている。もちろん電信柱などはない、すごくすっきりしている。

 

 船は、右にルーブル美術館を左の先には、さっきのノートルダム大聖堂をみながら、さらにすすみ、大聖堂を少しすぎたところでユーターンをし、スタート地点をすぎ今度は、エッフェル塔の方角に向かう。

 エッフェル塔を少しすぎてまたユーターンだ、そしてスタート地点で下船した。

 昼食は、パリで久しぶりの日本食だという。せっかくパリにきたのだから、パリのおいしいものが食べたかった。日本食は、日本で食べられる。

 パリの日本食屋は狭かった、ツアー客はそこに押し込められた。

 でてきた料理は、ごくあたりまえの焼き鮭、刺身、煮物、お新香、味噌汁、ご飯だった。

 日本だったら、料理とはいえない、朝食みたいなものだ。

 しかし、おいしかった。鮭やご飯がこんなにもおいしいものかと、あっという間にすべてたいらげた。私だけが、おいしいのかと思ったが、ツアー客の大半がおいしいといっていたから、やはり本当においしかったのだろう。

 

 午後は、ルーブル美術館の見学だという。あまり美術館には関心のなかった私は、それほど期待もしていなかった。

美術館ということと、限られた短い時間での見学ということもあってだろう、専門のガイドがついた。日本人の男性だった、彼は非常に手際がよかった、「皆さん、限られた時間です、要所だけを効率よく観ましょう。歩くのも速いかもしれませんが、ついてきてください」こういって、どんどん館内を進んでいった。

 要所、要所の彫刻や絵画の前では、分かりよく説明してくれていた。絵画などに興味のない私にも、なるほどとうなずけるような説明だった、これがプロの説明だと感心した。特に印象に残っている、絵画は遭難した、“いかだ”で20人ほどの人が漂流していて、一番左のひとはすでに息が絶えている、その右の人は苦しさに息も絶え絶えだ、一番右の人が最も元気で右手の曇り空に向かって両手を大きく差し伸べている。

 このような情景を3m四方の壁に展示されていた。

 

 この絵画の説明は、人間はいつでも希望をもち生きていかねばならない。ということを表現しているという。一番左のひとは死んでいるが、右側のひとは生きている、その右のひとはさらに元気だ。そうして右にいくにしたがって元気になっていく、人間が生きようという姿を右上がりに表現しているのだという。

 テオドール・ジェリコ作の、「メドウサの筏」だそうだ。

 あの有名な、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」も展示されていた。「モナリザ」は頭にベールをかぶっているのだと、はじめてきかされた、よくよく見ると本当だ、おでこに黒い線が見える、これがベールだとは知らなかった。私だけだろうか。

絵の大きさは、比較的小さく、1m四方もあっただろうか。さすがに黒山の人だかりだ。絵画保存のためカメラのフラッシュは禁止されているが、ここにも無法者はいるものだ。

ルーブル美術館を出たのは、閉館まぎはの5時だった。

 

今日の観光はこれで終わりだ。ホテルに入ってゆっくり休もう。

ホテルは、凱旋門をぬけて、パリ外周高速道路を少し越えた、ラ・デフェンスというビジネス街のようなところだときいている。

ホテルの部屋は7階だった。やはりエレベーターに表示がない、エレベーターは3基あるのだが、それらが、いまどの階にいるのかが分からない。まったく閉口してしまう。

さあ、午後9時だ、早いけどシャワーでも浴びて寝ることとしようか、外はまだ明るいが。

 

7日目、今日はベルサイユ宮殿の観光で、午後は自由行動の日だ。

ベルサイユ宮殿は、パリから20kmほど離れている。

宮殿というから、ちょっとした建物がある、まあ宮殿だろうと多寡をくくっていた。

ところが、ここでもまたまたびっくりした。この宮殿は広大な敷地を有するのだ、総面積800ヘクタールという。広さの感覚がまったくわからない。東京ドームが幾つ入るのだろう。

まず、庭園を散策する。なるほど広大な敷地だ、ほんの一部を散策して館内に入る。

それは、それは、豪華絢爛たるものだ。王の正殿、ヘラクレスの間、メルクリウスの間、戦争の間、鏡の回廊、平和の間、王妃の居殿、王の居殿などなど、とても全部は観ることができない。

どうして、こんなにも広大で、古いものを残しておけたのか不思議でならない。

日本では、到底考えられないことのように思う。

 

ここで、ベルサイユをあとにして、再びパリに戻る。午後は自由行動だ。

おみやげを買うためのショッピングをしようと思っている。免税店やパリ三越を紹介されたので行ってみたが、高価なものばかりでわれわれのニーズに合わなかった。あちこち歩きまわり、よさそうなデパートを見つけた。オペラ座の近くだ、ギャラリー・ラフェックスというデパートだった。日本人は全くいなかった、ちょっと不安になったが意を決し、中を見ることにした。

やはり品物が豊富でこれはよいとおもい、各階を見て周りけっこう買い物ができた。

支払いは、クレジットカードがつり銭も関係なく便利でよいようだ。サインひとつですべてが完了する。店員は親切だった、包装は簡潔だ、日本みたいに幾重にも包装をしない。

 

このデパートでほとんどの買い物は終わった。明日は一日自由行動だから、パリの街を存分に散策しよう。おおよその状況は把握できたつもりだから。

少し時間的に余裕があるので、少しパリの街を散策しタクシーでホテルまで帰ればよいと思い、ホテルの方向でもある、シャンゼリゼ通り目指して歩いた。途中小奇麗なカフェテラスがあったので一休みすることにした。コーヒーと白ワインを注文した、注文したつもりだった、注文をうけたのは若い女性の店員だった。私はカウンター席に座っていた、女房はテーブル席に座っていた、私はセルフサービスだとおもっていたから、カウンターでワインとコーヒーを受け取りテーブル席にいこうとおもい、カウンターで待っていた。

白ワインはカウンターに女店員がもってきた、一応通じたのだとおもってコーヒーを待っていた。しかし、コーヒーはいつまで待っても出てくる気配がない。女店員もこちらを気にしている風だ。私はコーヒーがきてから、ふたりで一緒に飲もうとおもっていたから、ワインには、口をつけなかった。女店員はそれを腑に落ちない気持ちでみていたのだと後で気が付いた。そこに、男性の店員が現れ、なにか注文ですか、というような顔をした。私は、すかさずコーヒーといった。男性の店員は、なにかいっていた、たぶんコーヒーの種類のようだ。わかったのは、ブラックだったから、ブラックと答えた。店員は首を縦に振って、わかったという風だった。そして連れがいるのを知っていたのか、女房の座っている席を指さして、席で待っていろという風にうけとれた。私はワイングラスを片手に女房の座るテーブル席に向かった。店員はそれでいいのだ、といっていたようだった。

それで、ようやくコーヒーとワインを飲むことができた。言葉が通じないということは大変なことだ、と痛感させられた。だが、よい経験ができたと思った。

 

そこから、しばらく歩いたが大きな通りに出ることができない。ここは、下町なのか肉屋、八百屋だとか小さな商店が並んだ町だ。小さな果物屋があった、赤いサクランボがおいしそうだったので、買うことにした。けっこう沢山ある、ふたりで食べきれるだろうか。

ついでに、店員に道を聞こうと地図を出し、ここはどこか聞いてみたが、しばらく地図をみていたが、よくわからないらしい、ほかの店員にも聞いていたが、らちがあかない、道を聞くのをあきらめた。

しばらく歩いて、比較的広い通りに出た。ここならタクシーも拾えるだろうと思った。

案の定、タクシーが2台止まっていた。これに乗ろうと思い、タクシーのドアーの前に立つと運転手が乗っていなかった。近くにいるのかと、周りを見渡したが運転手がいる気配はなかった。ずいぶんと、のんびりしたものだ。

しかたがない、もう少し歩いてみるか、そうしていると1台のタクシーが通りかかった、すかさず手を上げると、日本と同じようにとまってくれた。

ひとまず、よかった。ホテル名と場所を告げると、わかった乗りなさいと合図してくれた、ますますよかった。ホテルからもらってきた地図入りののパンフレットを渡すと、これはありがたい、これならよく分かるといっている風だった。

道は混雑していた、運転手は回り道をして高速道路を利用したい、といっているようなので、うなずいた。けっこう言葉は通じなくとも、なんとか、こちら、あちらの意思は通じるものだと妙に感心した。

 

ホテルのそばまできて、ちょっと道を間違えたりしたが、なんとかホテルにたどり着いた。午後8時だった、まだ真昼のように明るい、太陽もさんさんと照っている。

それにしても、パリのタクシーは安いようだ。それよりも、日本のタクシーが高すぎるのか。130フランスフランだった、1フランは16円ぐらいだから、円換算2000円弱だ。10km以上の距離を30分以上かけてである。

ホテルに帰ってきて、さっき歩いてきた道がどこだったか、どうも納得がいかないのだ、冷静になって地図をながめているうちに、どうも目標にしていた方角とは反対の方に歩いていったようだ、そうするとサクランボを買った果物屋だとか、下町風のところとか、つじつまがあうのである。

目標にしていたのは、ル−ブル美術館から凱旋門をむすぶ大通りがある、途中にはシャンゼリゼ通りもある。この大通りにでるつもりで歩いたが、反対方向に歩いていては大通りにでるはずもない。でも、これで納得である、どこをどう歩いて、どのへんでタクシーに乗り、どこをタクシーが通ってホテルまで帰ってきたのか、わからないと気持ちが悪くてしかたがない。これですっきりした。

 

8日目、今日は一日中自由行動だ。バスでルーブル美術館のすぐそばの免税店「べリュックス」までバスで送ってくれ、午後4時まで自由行動で、4時にバスがここまで迎えにきてくれるという。

われわれは、パリの地図を片手に、まず500mほど離れたところにある、オペラ座を観にいくことにした。オペラ座は、何年間かかけてお化粧直しをした直後だそうで、非常にラッキーだった。正面は、無数の円柱形の柱がありその上部は彫刻や人物像がたくさん飾られている。その上には金色にかがやく彫刻のような、飾りが横に広がっている。その上の屋根の部分は半円形で、そこには天使のように羽をひろげ、両手をひろげた像が3対飾られていた。外壁は、白で、化粧直しの前までは、くるまの排気ガスで黒ずんでいたようである。

化粧直しは、黒ずんだ部分に塗料などを塗るのではなく、高圧水流で汚れを剥ぎ取るのだそうだ。何億というお金がかかっているという。

このような古いものを保存するためには、惜しげもなくお金を使うようだ。

街の中もゴミなどもなく、清潔だった。話しによると、パリ市民の4人に1人は公務員だときいた。そういえば、市の清掃車がひっきりなしに行き交っていた。

また、街角のいたるところにトイレボックスが見かけられた。日本の電話ボックスみたいな形だ、小銭を入れて利用する。われわれは、緊急事態にならないかぎり利用することは、ためらわれた。小銭を入れて入ったはいいが、本当に出てこられるのだろうか、という心配があった。

 

オペラ座から、再びルーブル美術館に戻り、ここから凱旋門の方に散策することにした。

ここから、シャンゼリゼまでは、中央部が公園になっていて幅100mほどはあるだろうか、花壇があったり、噴水やベンチなどもあり、くつろいだり、散策するには絶好な場所だ。その両側がくるまの通りなのだ。途中にコンコルド広場などがある。

 

コンコルド広場に入るとちょっとした事件がもちあがった。私は、カメラを首にかけて歩いていたが、ひとりのフランス人がそばによってきてカメラを指差していた、ここは撮影禁止だといっているのかとおもったが、どうもそうではないらしい。

首からカメラをはずすと、コンコルド広場の大きな観覧車をバックにふたりの写真をとってくれるということらしい。ずいぶんとフランス人というのは親切なものだな、とおもいながら、ポーズをとって、2枚ほど撮ってもらった。

ここまではよかったが、こんどは自分たちのカメラで記念写真を撮ってくれるというのだ。ああ、そうゆうことか、とおもったが、写真を撮るくらいならお金を請求されてもたいしたことはないだろうと、2枚ほどふたりでとってもらった。ポラロイドカメラだから、すぐに写真はできた。写真をもらって、タダのわけがないだろうと、いくらと聞くと、なにかいっているがわからない。

 

しかたがない、10フランをいくつか出してみせた。ところが、ノン、ノンと首をふる、しょうがないな100フランぐらい必要なのか、とおもい札の入っている財布をひらいて、100フラン札を渡すと、財布の中をのぞき込み100フラン札をさらに3枚抜き取った。私は、冗談じゃないと金を返せというと、通じたのか、これが正規の値段だといわんばかりに、小さく200フランと書いた定価表らしきものお提示した。

そして、そばにいた同業者を呼び寄せ、同意を求めているようだ。これは、これ以上かかわりをもたないほうがよさそうだとおもい、その場をさることにした。しかし、だまされたようで、後味の悪いおもいをした。

高いが、勉強代とおもうしかなかった。

フランスにもこのような輩がいるのだと、いままでの好印象が、少し減点だというおもいがした。

 

こんなことから、コンコルド広場はほとんど観ることもなく、早々にシャンゼリゼ通りの方向に歩をすすめた。

シャンゼリゼ通りというと賑やかな狭い道の両わきに商店などが並んでいるのかと、想像していたが、大違いだった。くるまが、びゅん、びゅん、通る広い通りの両側がシャンゼリゼ通りだという。ブランド品を売る高級店ばかりなのか、あまり人通りも多くなく、比較的静かなものだった。道路の正面には凱旋門が大きく迫るようにたっていた。

 

そこからは、もときた道を戻り、ルーブルの近くにきて、左側にそれ、お土産屋が並んでいる方に向かった。小さな店が並んでいた、こういう店をのぞくのもまた楽しい。

フランス人形を沢山展示している、店もあった。フランス人形というとホッソリとした顔立ちの人形を思い浮かべていたが、どうも違っていた、総じてフックラ顔だ。

ヨーロッパ人は、このような顔を好むのだろうか。

気に入った、人形があったら記念に買おうとおもっていたが、どうも顔立ちが気に入らなかった。

パリの街では、いたるところで店の前の歩道に、テーブルとイスを並べ、カフェテラスというのだろうか、歩道を半分以上占領している光景がめにつく。

客は、それぞれ、ワインや水らしき飲み物を飲んで、くつろいでいる。

なんともよい雰囲気なので、ひとつのカフェテラスに入り、ワインとコーヒーを注文した。コーヒーはどうしても、ブラックになってしまう。コーヒーの種類は、なになのかを聞かれるが、よく分からないから、いつもブラックをたのむ。たいがいの店は、お金は前払いで席まで飲み物を持ってきてくれる。水はワインとほぼ同じ値段だ、だから水はたのむ気がしない。フランス人は結構水を注文している、われわれは、どうしても水はタダという感覚が抜けきらないようだ。

 

昼近くになってきたので、昼食としよう。目星をつけていたラーメン屋を地図上でマークしていたので、地図を頼りにそのラーメン屋を探す。ラーメン屋はすぐにみつかった。

店内はやはり日本人が多い。ラーメンと餃子をたのむ。両方とも、日本でもおいしい部類に入るほどおいしかった、ラーメンはこってりスープだった、餃子はニンニクがよくきいていた。パリだからといって、味を落とすわけにはいかないのだろう。競争は激しそうだから。このあと、パリの街を歩いてみたが、このようなラーメン屋はあちこちでみかけた。

まだ4時までには、時間がある。もう1軒、カフェテラスに入ってワインを飲もうと、女房を誘った。多少しかたなしにうなずいてくれた。ずいぶんすいている店であった、あまりすいていると、かえって入りにくいものだ。とりあえず入ってみた、若い女性の店員がいたが、注文も聞きにきてくれない。けげんな顔をしている、入ってはまずいのかなともおもったが、しばらく様子をみていると、男性の店員が近づいてきて、なにかいったがよくわからない、ファイブミニッツ・クローズと一部分、聞こえた。あと5分で閉店といっているのかもしれない、それでは出るしかない、とおもい店を出ることとした。

どこの店もそうだが、女性の店員はあいそがない、あいそというより、自国語で話してくれなければ、私わかりません“という調子におもえる、すぐ上司なのか男性の店員にまかせているような気がする。あまり感じがよくない。

ほかの店にかえることにし、またまたグラスワインを飲み干した。

 

さあ、そろそろ4時が近づいてきた。これから、空港に向かい帰国の途につくことになる。過ぎてみれば早いものである。でも、いろいろなことがあったし、貴重な体験もした。

パリ近郊のシャルル・ドゴール空港から、午後8時発だ。

飛行機は全日空だから、言葉の不便さはこれで解消だ。成田までに機内食が二度、これが結構おいしくボリュームがある。その間に、ワインや、ビールなどを飲む。シートを立つのは、トイレに行くときぐらいだ。それでも時間はあっという間にたつ。前回の出張の時は、多少苦痛だったが、今回はそれほど苦痛に感じない。

前回は、北極まわりで時間が5時間ぐらい長かったせいだろうか。

9日目、午後2時30分定刻どおり成田に降り立った。

ここから、7時の便で名古屋に向かう。

名古屋には、8時に着き、駐車場にとめておいた、くるまを運転して浜松まで帰ることになる。浜松のわが家に着いたのは、11時少し前だった。

どうやら、初めての海外旅行も無事に、楽しく済んだようだ。

女房に感想を聞いてみた。飛行機に乗る時間は長いし、苦痛だろうから、もうこりごりだ、とでもいうかとおもいきや、やみつきになりそうだ、といっていたから、結構それなりに楽しめたのかもしれない。

      

       ヨーロッパの旅、終わり。

             平成12年8月17日 佐々木 武
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