アジア四都市旅行記 <香港編>   H12・10・5〜6

  香港の空港には、午後8時ちょっと前に着いた。そこからすぐにバスに乗りビクトリアピークへ向かうことになっている。香港の夜景を観るためだ。天気が気になったが、多少雲はでているようだが、まあまあのようだ。香港のガイドさんは若い男性だ、日本語はちょっとくせがあるが、まあこんなもんだろう。番さん、と書いて「ハンさん」という、と自己紹介していた。マンションが建ち並ぶ住宅街をバスが走ったが、ここは値段が高く番さんにはとても買えない、といっていたが何千万円かするらしい。番さんはアパート暮らしだと言っていた。ビクトリアピークは小高い山の中腹にあるらしい、バスは細い山道を登っていく。

バスは山の頂上付近までいって、そこでユーターンして山を少し下り展望地点に着いた、展望地点は狭くバスがユーターンできないためだろう。

ここからは、香港の夜景が一望できた。高層ビルが建ち並び、それがイルミネーションで輝いていた。きれいなことは綺麗だが、どうしても人為的な美しさがちょっときになった。

 

15分もいただろうか、もう午後9時を廻っているホテルには寝に帰るようなものだ。これもツアーである以上仕方のないことなのだろう。

ホテルは、ニッコーホテルといった。番さんが、このホテルは香港でも有数のホテルだといっていたが、本当に一泊だけではもったいないようだった。

 

6日目、最終日である。香港観光をして、午後4時20分の便で帰国の途につくことになっている。

朝食は、ホテルから近くのレストランといおうか食堂街の一軒でとった。「飲茶」だった、ここの飲茶はおいしかった。

 

 

シュウマイ風のものや豚肉の炒め物など、どれも美味だった。  

 

ウーロン茶もおいしかった、何杯も飲んでしまった。

朝食がすむと、香港観光だ。

まず、旧九龍時計台跡に案内されたが、昨日観た夜景の街の対岸だった。

夜景を展望したビクトリアピークもみることができるところである。対岸のビル街をバックに写真を撮ったりしていた。そこに、タイの夕食で同席した母娘さんが通りかかった。言葉をにさんかわし、私が娘さんに写真を一緒に撮らせてくれと頼んだ。快く引き受けてくれた、私のカメラでシャッターは女房におしてもらった。失敗するといけないので二枚撮ってもらった。

その後、バスで移動し、香港では最も大きな寺院といわれる「黄大仙寺院」を訪れた。やはり中国的な寺院である、赤、黄色緑が主体のけばけばしい建物だ。大勢の現地の参拝客が、石畳にひざまずいて祈りをささげている。

そんなときに突然スコールがやってきた。我々は軒先で雨宿りをしたが、祈りをささげていた何人かは、そのままの姿勢でぬれたまま祈りを続けていた、もちろんずぶぬれである、この後どうするのだろうとちょっと心配になった。

雨はすぐに上がったが、ずぶぬれの人たちがどうなったかはわからない。

我々は、バスに乗り込みこの寺院をあとにした。

 

そして、昼食である。昼食は四川料理だった、これはおいしかった、今回の旅行で一番よかったと私は感じていた。日本人向けに味付けしているのだろうが、横浜の中華街で食べた中華料理に似た味と感じた。

 

昼食が終わると、早々に空港に向かわなければならない。空港には、午後2時30分ごろまでには到着しなければならない。この空港は2年半ほど前に完成した、まだ新しい空港ということだった。それまでは、香港の街の上空を飛行機が飛び交い、空港も手狭で急遽新空港建設の計画が立案され、近くの島を二つ削り、平らにならし空港地にしたそうである。香港は近くに空港にするような土地がなかったからだそうだ。

突貫工事で、この大工事を5年ほどで完成させたそうである。島をつぶし、橋や道路、鉄道建設を含める大工事であるから、かなりの短時間といえるのだろう。空港には、3時ちょっと前に着いた。4時50分発の名古屋行きに乗り込み予定どうり9時に名古屋につく、やっと帰ってきたか、という気分になる。

まだ家にはついていない、浜松に着くまでは油断はできない。

くるまの運転がある。帰りは、早く帰りたいから最短時間のコースにした。

名古屋高速を使い、名古屋ICを東名にのり浜松ICで降り、我が家へ無事帰着する。午後11時であった、これからも楽しい旅を続けたい。


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