アジア四都市旅行記 <バンコク編>   H12・10・3〜5

バンコクには、午後3時に空港に着いた。バンコクはシンガポールよりもさらに蒸し暑かった。空港からはバスに乗って、バンコクの街中まで首都高速のようなよい道路が続いている。高架道路からみる街並みのところどころにスラム化したような所も見受けられた。

高速道を降りると、街中の道路はかなり混雑していた。ホテルに着いたのは夕方になっていた。ウインザー・スィートホテルといった、夕食は他のホテルに出かけてとることになっている。ソルツインホテルで「タイスキ」を食べた、特別な印象はなかった。

 

次の日、バンコク郊外の「アユタヤ」に向かった。空港のそばを通り、さらに北に向かう。「アユタヤ」は、世界遺産アユタヤ遺跡がある、どんなところだろう?期待できそうだろうか。

途中、メナン川のほとりにある、「日本人村」による。何軒かの衣服を売る店が並んでいる、直径2mはあろうかとおもわれる、きらびやかな扇子が店の前にいくつか飾ってあるこぎれいな店があったので、そこに入る。Tシャツ、200円、6枚1000円という値札が目を引く。衣類は安いのだろうか?。

 

次に、バンパイン離宮の観光だ。入り口にはタイ衣装をまとった、タイの若い女性がふたり立っていて、その間を通って入場するようになっている、そして我々客が入場するたびに写真を撮っている。その写真を帰りにでも売りつけようというんだろう。内部は庭園風になっていて、芝生あり池ありできらびやかな建物と日本の離宮とは大分趣きを異にする。

やはり帰りに写真を売りつけてきた、1枚、日本円換算で600円ぐらいだったろうか、結構よく撮れていたので女房のものと2枚買うことにした。

 

今度は、アユタヤ遺跡のひとつ「ワットヤイチャイモンコン」という釈迦寝像のある寺院である。タイのお坊さんだろうか、お坊さん風の衣装をまとった数人が、写真を撮りながら歩いている。よそのお寺から見学にきた、というようにもみえる。アユタヤとは、「平和の都」という意味があるらしい、人口は約60万人だという。

そして、いよいよアユタヤ遺跡の本拠といわれている、「ワットプラスリサンペット」である。遺跡というのにふさわしい寺院の廃墟は点在している。なんとなく不思議な光景である、遺跡のそばの道を観光ようの象が観光客を乗せて歩いている。ガイドさんが我々ツアー客にも象に乗らないかと勧めていたが、誰も乗ろうとした人はいなかった。

ここからバスに乗ったが、すぐに昼食場所についた。メナン川のほとりにあるレストラン風のところだった。メナン川はどこへ行っても茶色に濁っていてお世辞にもきれいな川とはいえなかった。ところが、タイではこの川はきれいな川なのだそうだ。川のきれいさは水の色ではないらしい。その川べりには水の中に柱を立てた家が点在していた、洪水などはないのだろうかと、ちょっと心配した。レストランは「リバービュープレイス」といい、昼食はバイキングであった。シチュウ風のものやカレーや麺類もあったが、ツアー客は口に合わないような口ぶりだった。私は、なんでもおいしく食べられる、なんでだろうと不思議に思う。

 

昼食後、帰路につく。バンコクに戻るのだ。高速道を走っているときだ、バスにガタンというショックがはしった。パンクかな?とおもったが、バスは減速してひた走る、どこか駐車できる場所を探しているのかとおもったが、なかなかバスは止まらない、そして一般道に下りてからやっと止まって運転手がバスを点検していたが、パンクでもなし異常はないということである。

納得がいかなかったが仕方がない、バスはそのままホテルに向かった。次の日このバスは違うバスに変わっていた、理由は明確にはされなかった。

 

夕食はホテルで、タイ古典舞踊を鑑賞しながらのタイ料理であった。

舞踊は、美しいタイ衣装を身にまとった若い女性の舞や剣をもった男性のいわば剣の舞といったところだろうか。あとで聞いた話だが、舞踊を踊った若い女性は昼間は学校の先生だそうである、夜はアルバイトでこうして働いているのだそうである。

ここでの夕食時、岐阜から参加したという母娘さんのふたりと同席した。

どんな話をしたかは記憶にないが、娘さんがインターネットをやっていると聞き、私も最近メールをはじめた旨を伝え、メールのやり取りをしようとアドレスを交換した。こんな娘さんが私ごとき年寄りにメールなどよこすのだろうかと、半信半疑ながら・・・。

 

夕食後は、「ニューハーフショー」と称するショーを観にいくことになっていた。

何百人かが入る劇場であった、最前列に陣取った、いわゆるかぶりつきだ。

隣は、夕食で一緒だった母娘のふたりずれだった。ショーのはじまりは、日本の演歌を歌いながら美女?がスロープを降りてくる。どう観ても女性だ、声も女性だ。その後、美女?が続々と登場し踊りに歌にとショーが進んで行く。

ショーも終盤になってやっと気がついた、歌っている声はテープであることが、いくらなんでも声までは変えられないはずだから。

ショーが終わるとお気に入りのスターとの個人撮影の場が設けられていたが、あまりの人の多さに私たちふたりはそれには参加しなかった。少し残念だった。

 

5日目は、まずメナン川をツアー客全員34人が乗れる、小さな船で下っていく。川のほとりにはバラック建ての建物があるかとおもうと、すぐそのそばには高層のマンションが建つアンバランスが異様な感じを引き起こす。

メナン川は、川幅200mぐらいはあるだろうか、かなり大きな川である。

その川から、運河のような細い川幅のところに入って行く、両側には民家がぎっしりと並んでいる、家の柱は水の中である。この運河のような川を道路のように小船を使って移動しているのだ、ところどころに道路と同じような、直行する川があるというような標識が目に付いた。

しばらくすると、小さな荷物を積んだ小船が何艘かこちらの船に近づいてきて、麦わら帽子などの小物を買ってくれということらしい、これが「水上マーケット」だというのである。水上に建物が建つマーケットかと想像していたが、ちょっと期待外れだった。

ここから、再びメナン川に出て、メナン川のほとりにある「暁の寺院」に向かう。船の上からもその寺院の塔がそびえ建っているのが観える、船を降りて5分もかからずに着くことができた。入り口には、タイの衣装をまとった若い女性のモデルがふたり立っていた。一緒に写真を撮るといくらか、というように商売としてやっているのだろう。寺院の高い塔に登ると、目の前のメナン川が一望できる。対岸には、「エメラルド宮殿」の絢爛たる寺院が広がっている。

ここの次に行くことになっている。

帰りぎわに、さっきのモデルと写真を撮ることにした。1回10バーツだという、女房と2回撮ったから20バーツである。料金を支払おうとしたら、料金はそこにいる男に支払ってくれとゼスチェアーで通じた。ちゃんと女性を管理する人がいて、そのモデルはきっと日当としていくらかの金銭を受け取っているのだろう。

 

また、船に乗り対岸に渡る。そして、いよいよ「エメラルド寺院」だ。仏舎利塔が黄金色に輝いている、前面には緑の芝生が広々としていて美しい光景だ。

そこから、さらに奥に行くと「エメラルド寺院」が外観全面ステンドグラスのように輝いている、中国から取り寄せたブルーのガラスや磁器を外壁にちりばめている。それは見事なものである、カメラのシャッターをきるのが忙しい。

そこと同じ敷地内に何百年か前に建てられたという迎賓館があった、この建物はヨーロッパ調の建物にしようと計画されたが、途中でどうしてもタイの建築様式も取り入れようと、屋根の部分をタイ式にしたのだという。よくよく観ると確かにちょっとアンバランスな感じがしないでもなかった。

 

昼食はバンコクセンターホテルでの飲茶のバイキングだったが、今ひとつ記憶に乏しい。昼食後はショッピングだった、例のごとくといおうか免税店に案内される、免税店はブランド品の高級品ばかりで、我々のしょうに合わない。

ガイドさんが、隣の「バンコク伊勢丹」の4階にスーパーがあり食料品などが安い、と聞いていたので行ってみた。確かにチョコレートやビールは日本よりはるかに安かったので、少しだけ買ってきた。

こうして時間をつぶし集合時間を待った。これから空港に向かって、16時発の香港行きに乗るのだ。タイのバンコクともお別れだ。

 

  <香港編>に続く。

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