<少年期U−3> 大失敗

  その頃の私のあだ名は、タコハチ、とかタコシといわれていた。理由ははっきりしないが、そのころ志村坂上の志村銀座商店街に「蛸薬師」という地蔵が祭られ、8のつく日に縁日がひらかれ露店がでてにぎわっていて、私がそこに遊びに行くのが好きだったからではないかと思われる。

 

 二年生の時だった、学校で大失敗を演じることになる。全校だったか、全学年だったかさだかではないが、校庭の草取りと整備を一斉におこなう時間があった。私は組の当番だったのか、教室に最後まで残っていた。教室は二階だった、みんな校庭にでていた。

 その時、校庭から呼ぶ声が聞こえ窓から顔をだすと、小学校から一緒だった対馬朝男がいた、なにか忘れ物をしたらしい、とってくれということだった。忘れ物はスコップだった、長さ1m20〜30cmぐらいだったろうか、下には誰もいなかったし、私は教室の窓から下の校庭に投げ下ろすことにした。私の身長ちかくあるスコップである、うまく投げ下ろしたつもりだったが、窓枠にスコップの取っ手あたりがひっかかったのか、一階の庇にあたり大きな音をたてて校庭に落ちた。ところが一階は職員室だったのだ。この物音に気づいた先生がでてきて、上を見上げ私をみて降りてくるよう命じた。

 こうして、対馬と私は先生にこっぴどくしかられた。私は「下には誰もいませんでした」と言い訳をしたが、先生は「下に誰もいなくとも、いつ人が現れるかわからないのだ」「この間も傘を投げて、これが人にささり死亡事故があったのだ。そんなことになったらどうするのだ」ときつくしかられ、私たちふたりは朝礼台の上で腕立てをさせられた。みんなが校庭整備をしている目の前でである。腕がシビレ本当にきつかったがそんなことはいっていられない状況だった、数十分の間だったとおもう。

 その先生は平川先生といって音楽の先生で、柔道の顧問もして体格のいい先生だった。自分ではそんなに危険なこととはおもっていなかったから、先生からその危険性の注意をきいて、その後ぞっとしたことだった。それからというものは、交通事故や落下事故などの話しがあると平川先生の言葉を思い出す。

 

  <少年期U―4>に続く

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