<少年期T−7> 小学高学年

 

この頃、小学校の高学年であるが、楽しみのひとつに、家の物置の中に父が蓄えた古い本をあさることだった。物置は家の西側に一坪ぐらいの父手製のものだった。

本はリンゴ箱に入って4,5箱はあっただろうか。物置に入ると本の湿ったカビ臭い匂いがして、これがまたたまらなくよい匂いにおもえた。

難しい本は敬遠して、おもしろそうな本を捜した。この捜す作業がまた楽しかったような気がする。どんな本を捜していたかよくは覚えていないが、マンガの「のらくろ三等兵」などのマンガ本が記憶にある。物置の中の薄暗いところで読むマンガがまたたまらなく楽しかった。

この頃、父のいとこの鎌田潤一、私はこの潤一さんのことを10歳ぐらい年上だがジュンちゃんと呼んでいた、このジュンちゃんがよく家にきて泊まっていった。

ジュンちゃんがくる時はかならずといってよいほど、本を買ってきてくれた。

本は文学本といわれていた「小公子」「三銃士」「鉄仮面」などであった。私はこの頃、読んでいた本といったら、マンガ本だったから正直いってあまりうれしくはなかった。

ところがである、実際に読んでみると予想に反して、それはそれはドキドキするほどの楽しいものだった。夢中になって読んだものだ。ジュンちゃんは、私をマンガ離れさせてくれたよきお兄ちゃんだった。

 

志村第五小学校には近所の同学年の原田義男、佐藤茂子ちゃんたちと一緒だった、一年年上には、篠田健一、上村敬三郎、各々ケンちゃん、ケイちゃんと呼んでいて一緒に通学したり遊んだりした。遊びはおもにメンコ、ベーゴマ、ビー玉などだった。

ケンちゃんには、将棋を教えてもらった。駒の動かし方は父に教えてもらっていたにで知っていたが、定石というものは知らなかったので、ケンちゃんが私にとって将棋の師匠のようなものだった。しかしケンちゃんには、そんなことはオクビにもださなかった。自分にも男の意地があったのかもしれない。ケンちゃんには一度も勝てなかった。

 

また毎日の楽しみは紙芝居だった、自転車の後ろに紙芝居の道具を乗せ、大きなタイコを持っていて、このタイコをたたいて歩き回り、紙芝居がきたことを知らせた。タイコの音色やたたき方でどの紙芝居のおじさんがきたかわかるのである。子供たちの間での一番人気は「善ちゃん」といわれて紙芝居の話しに迫力があって、多くの子供たちが集まってきた。

紙芝居をはじめる前に水あめやせんべいを子供たちに売るのである、水あめはイモアメといってやや茶褐色だった、これを割り箸半分ぐらいの長さの棒切れ二本の先でこねまわすと茶褐色がだんだんと白色に変わっていく、そして一番白くした子供に賞品がでるのだ、賞品はセンベイとか水あめだったが、われわれ子供たちはこぞってイモアメをこねまわした。

紙芝居のおじさんの中には、「なにも買わない子は紙芝居を見せないよ」という人もいた、当然このような紙芝居のおじさんは子供たちの間では不人気となった。

その点「善ちゃん」は人気絶大だった。とくに善ちゃん演じる「少年王者」「黄金バット」

は名演技で、われわれはわくわくして見入っていた。

「少年王者」は、特に子供たちの人気が高かった、主人公は「真吾」といってターザンの少年版といったところで猛獣や恐竜、動物たちと生活している少年の物語だった。作者は、山川惣治といった、絵もかいていた。

「少年王者、真吾の運命はいかに。この続きはまた明日。」という連続ものだった。子供たちは、明日はどうなるかわくわくしながら、明日を待った。

「善ちゃん」のタイコのたたき方は独特でリズム感があった、その音色を聞くとわれわれ子供たちは家を飛び出して「善ちゃん」のまわりに集まった。「きょうは善ちゃん、お金がないからなにも買えないよ」というと「こんど買ってくれればいいよ、紙芝居はみていきな」といってくれた。

こんなことで「善ちゃん」は子供たちの人望を集めたのかもしれない。

 

   <少年期T―8>に続く

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