木曽路&高遠紅葉のハイク
2009・11・11〜12
前日の10日には、保養所「浅間荘」に泊まったので、浅間荘で朝食後出発して、妻籠宿で
バスで川越を出発した本隊?と合流予定だった。
車で、高速を佐久ICから更埴JCT経由、中央道・中津川ICで降りて、馬籠峠経由とも考え
たが、ちょっと早く着き過ぎるし高速代も5千円以上かかりそうなので、一般道を主体に、
中央道・伊那ICから入ることにした。

北軽井沢から中軽井沢、佐久から白樺湖、茅野にでて有賀峠を超えて辰野へ、そして伊那IC
から中央道に入り、予定通りに中津川ICで降りた、高速料金は1850円だった。
中津川ICを降りたのは、12時45分だった、これなら馬籠峠あたりで、バスに合流できるので
はとおもったが、馬籠峠にはバスの姿はなかった。

そして、馬籠峠を少し下ったところに大型バスが停まっていて、バスからハイク仲間たちが下車
しているところだった。ここから、雨の中を男滝・女滝まで歩くという。我々を除きバスには45名
が乗ってきた。
私は、車を道路わきに停めて、少し仲間と歩いたが、すぐに車に戻り、妻籠宿で皆さんと合流す
ることにして、妻の待つ車に戻り、妻籠宿駐車場に行くことにした。
雨は、さほど強くはないが、朝から降り続いていた。悪い天気の日になってしまった。

妻籠宿・読書発電所・桃介橋
ここ妻籠宿には、ほんの2週間前にも地域の「郷土史研究会」の現地研修できたが、その時も雨
降りだったのである。ともに雨にたたられた。
車は、町営駐車場に停めて、宿本通りの「おやすみ処」でバス組が来るのをまった。40分程待った
だろうか、皆と合流することができた。雨なので、本陣見学を中止して、バスに乗って次の見学地
へ向かうことになった。

次は、すぐ近くの「読書発電所」である。読書は、よみかき、と読む。
この発電所は、普段は無人運転だという。今日は、我々が訪れるということで、数名の職員がわざ
わざ案内にきてくれたという。47名の大勢だということで、二班に分かれて、ビデオでの説明班と
発電所見学班に分かれた。ここ木曽川には、この発電所を含め30数箇所の発電所があるという。
この発電所建設には、電力王といわれた「福沢桃介」が大正12年に建設されたそうで、建物本体
は鉄筋コンクリート造りのレンガ壁で、半円形の窓や屋上に突き出した明かり窓など、近代的なデ
ザインが施されている。

読書発電所本館、水槽、水圧鉄管、柿其水路橋<かきぞれ>と南木曽町所有の桃介橋が、国の
重要文化財に指定されているそうだ。読書=よみかき、の名前は、与川、三留野、柿其という三つ
の村の頭文字、よ、み、かき、をとって名付けたそうだ。その「よみかき」を大正の時代では、読書
き算盤と言われていたので、読書という字を当て込んだのであろうといわれているそうだ。
このような説明が、関西電力の職員からあったのです。大変、勉強になりました!

雨降る、妻籠宿の紅葉も、ちょっと寂しそう!
妻籠の「枡形」<ますがた>といわれる、路地です。

読書発電所
発電所本館の全景が画像に残せなかったのが残念です!また、近いうちに木曽路にはくることもあるでしょう、
その時に画像を撮ってきたいとおもいます。

水圧鉄管、3本ありますね!今日は、あいにく工事中という
ことで、発電機は停止していました。
読書発電所内部。発電機が3基、ありました!
関西電力の職員が熱心に説明してくれました。
我々も、説明を熱心に聞いております!

桃介橋
橋長は、247m、読書発電所の建設資材の運搬路として架けられたという。
そして、当時の社長を務めていた、福沢桃介にちなんで、現在の名称で呼ばれているそうです。
大正11年に建設されたもので、木製補鋼トラストを持った吊橋としては、国内最大・最古であり
下部石積み、上部コンクリートの主塔3基を有して、当時の我が国の土木水準の粋を集めた
ものでした。昭和53年頃から老朽化により通行止めとなっていましたが、平成5年の復元工事
によって現在にいたっているそうです。
桃介橋は、読書発電所の少し上流にあります。
木曽川は、きょうの雨によって水かさが増し、濁流に
なっています。その橋を仲間が数名渡っています。
もう、日が暮れかかっています!

ねざめホテル
寝覚の床の近くにあるホテル、今夜の宿泊所です。
47名が泊まるのです、二階の各部屋は貸切状態のようでした。私は、10畳の5人部屋で、上野さん、
杉山さん、山口さん、豊住さんと同室でした。豊住さんとは初めて知り合い、2年程前にアメリカオハイオ
に25年間勤め定年を迎えたということで、これからは奥さん共々国内旅行を楽しむといっておられました。
私の妻も豊住さんの奥さんと同室だったといっていました。

それにしても、このホテルの従業員の対応はお粗末と言わざるを得ませんでした。
幹事さんたちには悪いが・・  まず、47名全員が集ったところで、マネージャーらしき人が注意事項、
お風呂は夜中12時まで、朝は、6時からという、ここまではよかった。ところが、朝はお湯がぬるくなって
います、寒い朝は身体が温まらないのでお奨めできませんという。何ということか、と自分の耳を疑った。

それに夕食時の配膳の仕方、こちらが食事しているところに、天ぷら、付け汁などの置き方が粗雑である、
食べ終わった皿などの下げ方も粗雑であった。それに、客のものとはいえ、廊下に濡れたものを干すのも
いただけない。これでは、このホテルは長続きはしないのではないかとおもえた。

ねざめホテルの正面玄関です!
稲垣さんの乾杯の音頭で、宴会?の始まりです!
この後、別室でビール、酒、焼酎やつまみを持ち込ん
でのカラオケ付きの二次会でした。

二日目の朝
寝覚の床を散策

寝覚の床、です!
ここまでは、ねざめホテルから下にくだって、徒歩10分程
でした!
角度を変えて、接近しての「寝覚の床」です。
寝覚の床近くの公園の紅葉です!
同じく、公園内の紅葉です、いい色ですね!

定勝寺 <じょうしょうじ>
寝覚の床、から妻籠に戻る方向にバスで20分のところにあります。木曽須原宿にあります。

定勝寺<じょうしょうじ>の入り口階段です、紅葉がきれい
です!
階段を上がった山門の内部から・・ 紅葉が素晴らしい!
住職の説法を聞きました!後ろに鎮座するのは、木彫の
「だるま大坐像」です。何となくお顔が、住職に似ていまし
た!

山村代官屋敷
木曽福島にあります。
福島関所の関守と木曽代官を兼ねていた山村氏は、一代官でありながら江戸と名古屋にも屋敷を
持つ、とても豊かな代官だったそうです。

山村代官の説明をしてくれています。ここには、代官家を守
る「山村いなり」という木やりを歌うキツネが住んでいて、町
の人たちは、その歌で吉凶を占ったそうです。
そのキツネのミイラがご神体として、祀られていました!
我々にもみせてくれました!ご神体なので撮影禁止でした。
キツネの歯がしっかりとしていました。
屋敷内の紅葉です、庭園も見事でした!

高遠の紅葉祭り
木曽福島から、新しくできた国道、「権兵衛トンネル」を抜けて、伊那市へ、そして高遠へ。木曽福島から
1時間程で到着であった。

「高遠閣」、近くの出店では、リンゴ、饅頭、甘酒なども売ら
れていた。
紅葉は、最盛期は過ぎているようだったが、今日は天気に
も恵まれて、あでやかな紅葉をみることができた。
黄色っぽさもまじえた素敵な紅葉です!
高遠美術館では、今日は入場が無料だというので絵画を
鑑賞しました。きょうは、天皇即位20周年ということでだ
そうである。その美術館のコーヒーショップでくつろいでから
皆さんとはお別れした!また、お会いいたしましょう!

バスを見送り、午後3時40分、皆さんと別れてからは、我々は一般道を伊那、駒ヶ根、飯田、下条、鳳来寺
を経由して浜松まで、市内でラーメン餃子を食べて8時30分に我が家に到着であった。

OB会へ戻る
浅間荘へ

inserted by FC2 system