ミヨ叔母のこと
ミヨ叔母は、平成30年1月17日に死去されました!
85歳でした。 私、佐々木武は、東京・大崎で生まれた時から、17歳までミヨ叔母をお姉ちゃん、おねえちゃんと呼び
生活もいつも一緒で、慕っていました!6歳違いで、私は一人っ子だったのです。昭和17年には空襲がひどくなって
きたので、おねえちゃんと一緒に二人で疎開もしました。
私の母の実家、栃木県茂木町でした。終戦まで、ミヨ叔母は、真岡の中学校に汽車で通い私は茂木小学校へ通いました。
高校も同じ学校で、板橋にある「北園高校・定時制」でした。ミヨ叔母は、高校では演劇部で活躍していました。
そしてミヨ叔母は、東京ガスに勤務し、そこでも演劇部で活躍、安田淳作さんと巡り会い結婚しました。私はその時、
その劇を東京ガスホールで観ました。そして、ミヨ叔母はよい方に巡り会えたとおもっていました。
そして、浩作、憲二を出産しました。その後、何度かの大病で手術を受けたりしましたが、やさしい夫、淳作さんにも支え
られて、それを乗り越えてきました。でも、先に淳作さんを亡くしてしまいました。しかし、その寂しさをも乗り越えてきましたが、
残念ながら昨年末頃から体調を崩し帰らぬ人となってしまいました。
1月20日、及び21日にて葬儀も無事に終了し、あの世に旅立たれました。
ここにミヨ叔母の冥福を祈り、葬儀の模様を皆さまにお知らせしたいとおもいます。
葬儀の模様
平成30年1月20日、16時より三ツ境「奉斎殿」にて「献花の儀」として、棺を花で埋めつくし、その後の焼香によりお送り
いたしました。
その後の食事会の模様
長男・浩作夫妻、次男・憲二夫妻
浩作の子供達、3人ともとてもユニークな名前です。長男・新之輔、
次男・龍之輔、長女・百千代(しんのすけ、りゅうのすけ、ももちよ)です。
次男・憲二の連れ合いの両親と家族
21日の火葬の儀
横浜北部火葬場にて、10時より最後の読経と焼香で別れを惜しみながら火葬にふされました。
参列者は10名でした
火葬場控室です
ミヨ叔母の戒名です
その後の食事会
食事会は、ミヨ叔母の夫淳作さんの時にも利用した会場でした。
「きむかつ舎しゃり銀」という東名・横浜町田IC近くにあるお店でした。
次男・憲二家族たち 中央のこちらを向いた子は、憲二の長男・拓海(たくみ)です。
「きむかつ」のカツ
きむかつ舎しゃり銀での食事後は、ミヨ叔母宅に全員で戻りいろいろと会話を重ね、午後3時頃、佐々木と
淳作さんの親類の方と一緒に帰ることになりました。たまたまその方も所沢在住だったのです。
相鉄線で横浜まで、そこからは湘南新宿ラインで池袋迄一直線。
池袋からは西武線で無事帰宅でした。
今回は、初めて浩作、憲二のご家族ともお会いでき、親交を深めることができました。
最後に、ミヨ叔母のご冥福を祈りながら、各々の家族が健康に留意し、有意義な人生を送ることを誓い合い
たいとおもいます!
また、最後に最近のミヨ叔母の写真をご覧ください!
次の頁に掲載します。
平成30年1月22日
佐々木 武 記す
平成28年2月28日にミヨ叔母宅にて撮影したものです!
自撮り、ツーショットです!上の写真と同日撮影です
以上です!