郷土史会・鳥居松遺跡
2008・7・12
浜松市内にJR東海浜松工場のすぐ近くに「伊場遺跡」<いば>があるが、ここのすぐ近くに
「鳥居松遺跡」<とりいまつ>があるという。このふたつの遺跡は互いに関連があって、ひとつの
遺跡と考えてよいという。
ここには「伊場大溝」<いばおおみぞ>という小川の跡があり、その小川がふたつの
遺跡にまたがっているというのだ。また、この鳥居松遺跡からは、奈良時代から平安時代
初め(1250年〜1200年前)の地層から、多数の木簡が出土したという。

小川というが、当時の小川は「ゴミ捨て場」のようなもので、それら不要物を捨てる場所だった
という。それで、不要になった食器や木簡が多数出土したのであろう。

木簡とは、字が書かれた木の札のことで、当時の生活の様子を具体的に伝える貴重な史料
だという。
今日の講師は、元浜松市博物館勤務で現在は、浜松市文化財担当課の鈴木一有氏であった。
大量の土器も出土し、調査の最後には、金装太刀が出土し、その柄頭(つかがしら)には、金が
被われていて、国内では例をみない貴重な太刀だという。

左は資料の表紙、金装太刀の柄頭の金装部分である。
右は、伊場遺跡と鳥居松遺跡の場所を示す。
左側丸内が伊場遺跡、その上部がJR工場である。
右側の丸内が鳥居松遺跡である。
下の図は、遺跡の断面図である。
左は「古代の木簡5点出土」とある。
右は「稲万呂」<いねまろ>墨書土器が9点出土とある。
下の土器の画像は、丼の蓋のようなもので、それの裏側
に、稲万呂の文字入りのしるしがみられる。
いまでいう料理店のしるしだろうか・・
左側は、「古代の祭祀用具が豊富に出土」とある。
神道でのお祓いに使われる、人形<ひとがた>のよう
なものと想像されるという。
右側は、「金装太刀が出土」とある。
金装の太刀の柄頭の部分、白い部分が金装部である。
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