わが子供たち

                  H13・5・10

我が子は、昭和38年生まれを筆頭に総勢5人の子供がいる。4男1女である。

今は、それぞれ独立した生活をしていて、みなそれぞれ質素な生活をしている。とくに、その質素な生活ができているということがうれしいかぎりである。

私自身は一人っ子だったためか、子供は多いほうがよいとおもっていた。

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子供が小さい頃はよくエビガニ捕りや、小魚を捕りにくるまで遠くまで出かけた。その頃は所沢に住んでいたから、名栗川にはよく出かけた。飯能市から少し山に入ったところだ。夏は川遊びには最適だった。

海水浴や潮干狩りにもよく行った。埼玉には海がないので、千葉県の富浦、岩井海岸に海水浴に、木更津の津久間海岸には潮干狩りであった。

子供を遊ばせるためとおもいながら、結構私も楽しんでいたのであろう、出かけて行くことが苦にはならなかったし、むしろ楽しかったようだ。

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昭和38年生まれの長男は、所沢に住んでいて二人の女の子がいる。上は今年中学2年生になる。長女は昭和42年生まれだ。19歳のとき結婚し、二児の母である。上の子は今年中学へ入学した。坂戸市に住んでいて、以前から自分でやりたいといっていた美容室を人は使わずひとりでやっている。半分趣味でやっているみたいに私には映るが、それが大変だが楽しいといっているので、それでよいのだろうとおもっている。

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二男は狭山市に住んでいて、平成11年に生まれた男の子がいる。連れ合いの両親の住んでいる家の二階にいるが、二世帯住宅になっていて住み心地もよいらしい。今のところ、そこを出て行く気配はない。

三男と四男は独身だが、それぞれ所沢と浜松に住んでいる。

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浜松から、私たちが所沢の長男の家に行くと伝えると、わが子供たちがみな孫を連れてやってくる。それは賑やかなものである。総勢15人になる。

長男の家で惣菜などを買ってきての宴会や、たいがいは近くの居酒屋で賑やかに飲み食いをして、カラオケに行って騒いだりしている。

また、年に一度ぐらいは皆なで一泊旅行に出掛けたりしている。泊まるのは民宿や公共の宿などである。

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子どもの時はよく喧嘩をしていたが、いまでは兄弟だけではなく嫁を含めて皆仲良くやっていて、この上ない幸せ感を私は味わっている。

子どもたちには、小さい時から「学校は高校までは親の責任で行かせてあげるが、それ以上は自分の力で行きなさい」と言っておいた。これは、私の持論であった、勉強は自分の力でやるものだと。

そのためでもないだろうが、誰ひとり大学に進むと言ったものはいなかった。

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今のように、親と子どもたちが、それぞれ浜松と埼玉に離れて暮らしてコミュニケーション不足が、当初は考えられたが、全くのとり越し苦労であった。

私たちが埼玉に行くといえば、子どもたちが孫を連れて集まって来るし、子どもたちが孫を連れて浜松に遊びにくれば、私たちが大歓迎をして海に行ったり川遊びに行ったりして皆を迎えている。子どもたちが、何か相談事があるといえば、私たちはすぐに埼玉に飛んで行く。

こんなことで、いつもそばにいる時よりもかえって離れ離れのほうが、コミュニケーションがうまくいっているような気がする。

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子どもたちとは、いつまでもこのような関係を保っていけたらよい、とおもっている。

おわり

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