懐かしの日記 ーU <生活記録日誌>
昭和32年<19歳>  1957年

この頃は、東京・板橋区蓮根に住んでいた。昼間は「株、コパル」に勤め、夜は、大学受験のため
予備校にいったり、卒業した北園高校(板橋)の図書館に通っていた。高校卒業直後の大学受験は
不合格だったのである。

一年後を目指して、奮闘する、
その頃の「生活記録日誌」が大学ノートに記録されていた。
これを転記し、多少、注釈を加えて記載することとした。



昭和32年7月〜8月

7月1日(曇り)月曜日
・平井君と会えず、手紙は渡さなかった。
・尾身君のお父さんがなくなった。
・崎田君に初めてあいさつをする。
:尾身は、中学時代の後輩、ソロバン熟で一緒だった。崎田さんは、初恋の人・・ 初めて挨拶ができた、
  よかったね!

7月2日(晴れのち曇り)火曜日
・人並みに流感にかかり、頭が痛んだ、会社を休む。

7月3日(雨のち曇り)水曜日
・レース班長が変わった、レース班石原さん、ポリシング班中島さん、レースがポリシングと分離する。
:レースは、卓上旋盤のことで、シャッターの小さな歯車の軸受などを削っていた。ポリシングは、その
  軸受けを磨いていた。

7月4日(晴れたり曇ったり)木曜日
・弁天座にて、「勝利者」「柳生武芸帳」を観賞。ソフトアイス、初めて食す。
・崎田君に便り出す。
:崎田さんに初めて挨拶ができたんだもんね、手紙を出さなくてはね!

7月5日(晴れ)金曜日
・両親、どこかえ行く、故に自分は留守番、少々風邪気味、のどが痛む。

7月6日(晴れ)土曜日
・高松君に500円貸す。この一週間、学習が手につかない!

7月7日(曇り)日曜日
・金子君のところに行こうとおもったがバレーの試合があるのでみに行こうとしたら人員不足のため出場
 する。結果は、対志村化工(21−8、21−11)、対大日本インク(18−21、21−14、21−11)
 対城北クラブ(21−0、19−21、25−23)でいずれも敗退。
 帰りに、ジュースと冷しそばが出る、他の者はビール。
:この頃からバレーボールを始めたようだ。

7月8日(曇り)月曜日
・雑誌「葦」購入、坂上の栄堂書店にて。
・崎田君から便りくる。先月23日には池袋にきたそうである。(封筒には、国際地球観測年記念切手)が
 貼ってあった)
:この頃から、「葦」を読んでいたのであろうか?崎田さんから手紙が届きよかったですね!

7月9日(曇り一時小雨)火曜日
・女優、白川由美とやらが来社し工場見学をする。
・プロ野球オールスター一回戦が今日も中止。

7月10日(雨)水曜日
・千代子さんの家により、風呂に入る。
・オールスター戦、今日も中止。
:千代子さん=松崎の叔母さん、父の妹。

7月11日(曇ったり雨)木曜日
・オールスター戦、パ軍勝つ、5−2、山内、田宮、本塁打。

7月12日(曇ったり雨)金曜日
・オールスター二回戦、中止。
・滝野川でトレパンとランニング購入する。350円、130円、各10円づつまける。バレーボール用か?

7月13日(曇り時々晴れ)土曜日
・崎田君に便り出す。
・オールスター二回戦、セ勝つ、宮本ホームラン、5−4。
・蛍雪時代8月号くる、120円。

7月14日(晴れたり曇ったり)日曜日
・日曜講習、最終日にも行かず、学校図書室に行く。
・松崎さん一家来訪。

7月15日(薄曇)月曜日
・3月にアルバイトできた、松田君が再びアルバイトでくる。他三人。
:アルバイトとはコパルでのことだろうか、松田?

7月16日(薄曇)火曜日
7月17日(晴れたり曇り)水曜日
・崎田君から電話くる。19日、一緒に帰ってくれると・・
・石川・後藤(石川君の下宿の人)両君と日比谷音楽堂にアサヒビールコンサートに行く。
 演奏曲目は、「真夏の世の夢」<メンデルスゾーム>、ハンガリヤ舞曲<ブラームス>、フィンランデア
 <シベリウス>、未完成交響曲<シューベルト>、ウィンの森の物語<シューベルト>、アンネンポルカ
 <ヨハンシュトラウス>、テープは切られた<エルビー>、水上の音楽<ヘンデル>、禿山の一夜
 <ムソログスキー>
 「三人の指揮者による演奏会」であった。指揮者は、上田仁、前田孝市郎、伊藤秀雄であった。
 帰りに有楽町で、ハンバーグライスを食う、石川君に出しておいてもらう。
:へ〜、崎田さんから、電話がくるんだ!やるじゃん!
  この頃から、クラッシック音楽に興味をもったのであろうか・・

7月18日(晴れたり曇り)木曜日
・お母さんが、出掛けたので5時で家に帰る。

7月19日(曇り時々晴れ)金曜日
・石川君、群馬県の、ある山に行く、吉崎君とともに・・
・崎田君と約束どおりに一緒に帰る。
:崎田さんと一緒に帰るといっても、私は自転車を引き、崎田さんがバスに乗る、志村坂上までの15分
  ぐらいのものなのある。崎田さんは、何故、私ごときと一緒に帰ってくれたり、たまにではあるが、会って
  くれたりしたのであろうか、今でも不思議ではある。今は彼女は古希を迎え夫婦で埼玉寄居町で暮らして
  いる。

7月20日(薄曇)土曜日
・坂上、栄堂書店にて「化学の研究」購入(250円)、「英文解釈研究法」板橋書店に売る、100円。

7月21日(曇ったり雨)日曜日
・修ちゃんから手紙くる。一日家にいる。
:修ちゃんとは、栃木県茂木町の母方の従兄弟、1歳年下。

7月22日(曇り後小雨)月曜日
・会社から、お中元のタオル出る。学校の図書室には行かなかった。

7月23日(雨のち晴れたり曇ったり)火曜日
7月24日(曇ったり晴れ夕一時雨)水曜日
・下腹が痛み、2時間ばから医務室で寝る。おばあちゃんくる。

7月25日(雨のち曇り)木曜日
・九州長崎・大村市に700mmの大雨、相当な被害が出る。

7月26日(雨)金曜日
・九州長崎・諫早市で743mmの大雨、死者2千人とか。

7月27日(曇り)土曜日
・板橋寅八書房にて、「和文英訳の徹底的研究」を購入、40円也
・板橋十丁目、北條書店にて、「世界文学全集(5)ブロンテ」を購入。230円也、20円まけさす。
・自転車のランプ修理に出す。
:この頃は、自転車が自分の足となっていた。蓮根の自宅から会社、板橋駅近くの学校のへの行き帰りは
  全て、高松君から買った自転車であった。

7月28日(快晴)日曜日
・崎田君に手紙を出す。
・神奈川の鶴見へおばあちゃんを送って行き、300円をもらう。
・日曜出勤せず。松崎さん一家、田舎へ行く。
:松崎さんが行った、田舎とは栃木県の茂木町であろう。この頃は、崎田さんによく手紙を書いていたようだ。

7月29日(快晴)月曜日
7月30日(快晴)火曜日
7月31日(快晴)水曜日
・昼休み、工作課とソフトボールの試合にピッチャーとして出場、チャットアウトで勝利投手となる。
・山君に「戦争と平和」を貸す。
:この頃は、会社の昼休みによくソフトボールをやっていた。本を貸した山君は?思い出せない。

8月1日(快晴)木曜日
・山君に「英語リーダー高2」借りる。今日から残業す。
:いつも受験勉強があるということで残業はしていなかった。でも、夏休みということで残業をするのであろう。

8月2日(曇り後晴れ)金曜日
・秀子ちゃん、臨海学校で勝山に行く。お母さんを自転車の後ろに乗せたがうまく乗せられなかった。
・尾身君に500円貸す。
:秀子ちゃんは義妹、千葉へ行ったのであろう、私より9歳下、S22年生れ。
  お母さんとは継母で、自転車に重くてうまく乗せられなかったのであろう。

8月3日(快晴)土曜日
・山君と「サマーコンサート」に行く。(日比谷大音楽堂) 曲目、「運命」ベートーベン、「アルルの女」(メヌエット・プ
 ランドール)ビゼー、「美しき碧きドナウ」Jシュトラウス、「剣の舞」ハチャトリュウ、「ハンガリヤ舞曲6番」ブラームス
 「カルメン間奏曲」ビゼー、「ハンガリヤ狂詩曲」リスト、入場料100円
・帰りに板橋区役所と八丁目間で交通事故があり一人負傷(都電と乗用車)
:やっぱり山君は思い出せない、それにしてもこの頃はよくコンサートに出掛けたようだ。

8月4日(晴れ)日曜日
・ラジオ東京、午前「剣の舞」、NHK第二、午前「禿山の一夜」「舞踏への勧誘」「軍隊行進曲」を聴く。
:午前とは、夜中ということだろうか?クラッシックかぶれのようである。

8月5日(晴れのち薄曇)月曜日
・秀子ちゃん、臨海から帰る。
・文化放送、ミッドナイトコンサート、12時「アルルの女」「ペールギュント」グリークを聴く。

8月6日(晴れたり曇り)火曜日
8月7日(薄曇)水曜日
・石川君から「芥川全集」返してもらう。
・板橋五丁目寅八書房にて「ザニューチョイスリーダース」(30円)を購入、板橋書店にて「和文英文練習(40円)
 購入。
・修ちゃん、勝ちゃん、セツちゃん三人が東京板橋、松崎さんの家で夕食をともにする。
:三人は、私の母方の従兄弟、栃木の茂木町から出てきたのであろう。従兄弟達は我が家には、継母の関係で
  あまり来なかったが、叔母の松崎さんのところには来やすかったようである。

8月8日(雨のち薄曇)木曜日
・家族全員、後楽園の労音に行く。
・自転車屋で電燈を借りる。鈴木君田舎に行く。
:家族全員といっても私は入っていない。鈴木君とは誰だろう?元の勤め先「青木注射針」で仲良くしてもらった
  鈴木さん(男性)がいたが・・

右が鈴木さん、中央は内藤さん、左は私。昭和30年、所沢の「ユネスコ村」にて・・
この頃は、勤め先は、「青木注射針」だった。

8月9日(晴れ)金曜日
・自転車屋で借りた電燈を破損、修理に80円かかる。
・アルバイト生、貫井君に英語の教科書を貸す。
:貫井とは、同じ職場にいた貫井だろうか、アルバイトで来ていて入社したのであろうか。
  貫井とはよく相撲をしたが長身の貫井には相性がよかった、ふところにすぐ飛び込み押し出せた。
  丹沢などに山登りにも連れて行ったことを思い出す。

右端が貫井、中央は石川、左は田沢?といったか・・ コパルの中庭で。S33・12・6。

8月10日(晴れ一時にわか雨)土曜日
・金子君から便りがきていたのに気がつく。
・修ちゃんとオリンピアに行き、ナイトショウ「謎の幽霊船」を観賞。
・石川君に「日本文学全集」二冊を貸す。
・藤井君、田舎に行く。
:金子とは、高校の時の親友、大学に入学後、自殺してしまった。理由は不明。修ちゃんは従兄弟。藤井は女性か。

8月月11日(晴れ)日曜日
・日曜出勤だったが行かず。初めて、金子君の家に行く。ざるそばと水密、サイダーをご馳走になる。
:金子は、板橋蓮沼に住んでいた。金子のお母さんがもてなしてくれたとおもう。何で自殺してしまったのか。

8月12日(晴れ)月曜日
・金子、田口両君に便りを出す。「英語世界」購入す。
・帰りに松崎さんの家により夕飯をご馳走になる。
:田口は、女性のペンフレンド。叔母の松崎さんの家には寄りやすかった、よく夕飯をご馳走になっていた。
  大正6年生れである、今も板橋・志村で暮らしている。

8月13日(晴れ)火曜日
・松崎さんの家により夕飯をともにし、修ちゃんたちと遊ぶ。
:夏休みで、修ちゃんが茂木から出てきていたのであろう。

8月14日(晴れ)水曜日
・修ちゃん一行帰郷する。朝であった。
・最近、どうも計画通りに勉強が進まない。夏期?スランプか?蛍雪時代くる。
・弁天座で「最前線」「ドイツかく戦えり」「落日の決闘」を観賞する。
:弁天座は、板橋駅前近くにあった。

8月15日(晴れ)木曜日
・どうも、気がイライラして仕方がない!崎田君には、裏切られたようだし!
:崎田君に裏切られたとは、事情がよくわからない。この時からか交際が途切れたのは?

8月16日(曇り)金曜日
・久し振りに12時まで起きていた。
:それまでは、12時前に寝ていたということか?この頃は、朝7時には起きていたはずである。

8月17日(晴れ)土曜日
8月18日(晴れ)日曜日
・休日が21日と入れ替わる。21日締め切り日までに予定の生産量が上がらないため。
・栄堂にて「葦」購入。上板橋葦会に入会希望の往復ハガキを出す。
:この頃は、よく電力事情で、このような休日振替が行われていたようだ。
  また、この頃より「葦会」に関心を持ってきたようだ。

8月19日(晴れ)月曜日
・松崎さんで千円借り、自転車のダイナモを蓮沼で買う。900円(50円まける)
:買物の時は、よくまけさせたようだ、しっかりしている。

8月20日(晴れ)火曜日
・弁天座にて「美女蝙蝠」「禁断の砂」観賞。
8月21日(晴れ)水曜日
・18日の日曜日に替り、今日は休み。今日から学校。
8月22日(晴れ)木曜日
8月23日(快晴)金曜日
・石川君に百円借りる。オリオン社、正修通信添削会に入会するため、入会案内葉書を出す。
:大学受験用の添削講座なのであろうか?

8月24日(曇り後晴れ)土曜日
8月25日(快晴後晴れ)日曜日
・弟、妹の初の発表会(独唱)、ままあ〜成功ということらしかった。それで一日、留守番だった。
 珍しく昼寝をした、2時間も・・
:弟(均)妹(秀子)が習い事をしていたのであろう。よく家庭教師が出入していた。
  留守番の時は、一番自由な時間で、両親の部屋に入りレコードを聴いたりして楽しんでいた。

8月26日(曇り)月曜日
・一ツ橋英語研究社の通信指導会の入会案内要求のハガキを出す。鈴木君パーマをかける。
:鈴木君とは?

8月27日(晴れ)火曜日
・給料もらい松崎さんに千円返す。夕飯、ご馳走になり、前の広場で犯罪映画を観る、その後大映映画
 「白雪先生と子供たち」(原節子主演)を観賞す。
・正修通信添削会より案内書くる。

8月28日(快晴)水曜日
・石川君に百円返す。高松君から百円返してもらう。
・石川、鏑木両君と九州水害基金募金・野外大演奏会に行く。日本フィルハーモニー交響楽団・QR主催
 毎日新聞社後援。 曲目  (日比谷大音楽堂にて) ウィーン音楽を集めて 1、喜歌劇「軽騎兵序曲」
 ズッペ、2、円舞曲「美しく青きドナウ」J・シュトラウス、3、「アンネンポルカ」J・シュトラウス父、「ラッデッ
 キーマーチ」同、  古典名曲集 1、「水上の音楽」より、アレグロ・ホーンパイプ・アレグロデチーン、
 ヘンデル、2、「ペールギュント」より、朝・アニトリの踊り・ソルベーグの歌・アラビアの踊り、グリーク
 3、「月の光」ドッビッシー、4、「イタリア奇想曲」チャイコフスキー   アメリカ音楽を集めて 1、「フィー
 ルドフィールド」ルイ・アンダースン、2、「アメリカン・サリュート」モートン・グルード、3、「ラテンアメリカ小
 響曲」同。
・演奏開始のとき、近くの教会の鐘が7時を告げ、Conducterをまどわす、滑稽な場面もあった。
・帰り、銀座を歩く、「白馬車」「テネシー」などもみる。
・オリオン社より案内書がくる。
・「青空会」、入会希望往復葉書を出す。
・「英語世界」返送添削テスト問題を出す。
:よく、コンサートに出掛けます、凝り性だからね! 白馬車、テネシー、ね、記憶にありませんね!

8月29日(雨のち晴れ)木曜日
・尾身君より5百円返還される。
・一ツ橋英語研究会より案内書くる。
8月30日(晴れ)金曜日
・栄堂にて「高校英語研究・9月号」(60円也)購入。
8月31日(晴れ)土曜日
・板橋八丁目矢崎書店にて「受験の数学・9月号」(60円也)購入、高橋さんより百円借りて。
・アルバイトの学生、阿部君が辞める。学校の帰りに志村四丁目の蕎麦屋で阿部君と会う。
:高橋さんとは、同じ職場の高橋定雄さんだろうか?
  アルバイトの阿部さんとは夏休みだけのアルバイトで、辞めるときにラブレターのような手紙を渡された。
  父親は英語の先生だとか、ラーメン屋などで二度ほど会っただけ・・

9月1日(曇り一時小雨)日曜日
・金子君に便りを出す。「高校英語研究」添削テスト根抵科問題出す。高橋さんに百円返す。
9月2日(雨時々曇り)月曜日
・太陽堂光機が31日に営業停止するというニュースが入る、これによってコパルもそうとうな影響を受け、本日
 より、当分の間、定時間終業4時45分となる。旺君、帰ってくる○より。
:太陽堂光機とは、この頃では、中堅のカメラ会社だったとおもう。ヤシカカメラなどが大手であったようだ。
  旺君は?、○よりの○は読めない字である。

9月3日(曇り)火曜日
・阿部君より思いがけない手紙をもらう、あやしい文章だ!本日より、会社終業4時45分、3時の休憩なし。
:阿部さんより、再度ラブレター状のものをもらったのであろうか?

9月4日(晴れ)水曜日
・「受験の数学」添削返送テスト(基礎科)出す。
・バレーボールコートの草むしり、全員でやったので15分あまりで終る。
・山君より「戦争と平和」返還さす。

S29・秋、バレー部結成初の試合後、トーハツに快勝とのこと。
私は、中央、後列右が監督の松永さん、左端は西田さん。

9月5日(晴れのち曇り)木曜日
・阿部君に返事を出す。
・約束どおりに金子君来る。板橋茶房でコーヒーを飲む、彼のおごり(50円)、音楽喫茶「ふじ」に入りまたコーヒー
 を飲む、これは僕のおごり、ともに50円。

9月6日(雨降ったりやんだり)金曜日
・阿部君と約束通りに会う。雨の中、30分ばかり歩きながら話をする。
:この頃は、ただ話をしながら歩くだけ。若い女性にとっては物足りないのであろう。

9月7日(晴れ)土曜日
・松崎さんにたのんだ万年筆が出来上がる。(ペン先)
:松崎さんの叔父さんは、パイロット万年筆に勤めていた。一時期、ダットサンの乗用車を持っていたり、ハイカラ
  なおじさんだった。

9月8日(晴れ)日曜日
・名月の満月、台風十号も去り、秋晴れのよい天気。

まだ、書き込み中です。少しづつ書き足します。

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