岩嶽山のアカヤシオ    岩嶽山アカヤシオ写真

              H13・4・29  佐々木 武

岩嶽山は標高1370mで、天竜市の奥、周智郡春野町にありこの季節になると天然記念物の「アカヤシオ」が咲き乱れ、頂上付近はピンク色に染まる。

1300m程度の高さでないと咲かないらしく、この花を観るためにはちょっとばかりの労力をようする。

 

4月29日、目を覚ますと天気はまずまずのようだし、予報も夕方から雨ということだったので、女房とふたり思い切って行ってみることにした。

朝6時に家をでる。岩嶽山へは過去三度ほど行っているので、だいたいの様子はわかっていた。

天竜市の山東をこえる、ここは本田宗一郎さんの生まれ故郷である。ここのコンビニで食料と飲物を調達する。そして、さらに国道362号線、大井川上流の川根町に続く道を進む。春野町の役場をすぎる。春野町は宝塚レビューの創始者といわれる、白井鉄造さんの生まれた地だそうで、白井鉄造記念館があり町全体に「すみれの花咲く頃」のメロデーが流れている。また、道端には地域住民がすみれを植えて、すみれの町のイメージを作り上げている。

春野町気田の町をバイパスし、小石間バンガローをこえ、さらに国道362号線を進む。間もなく大きな道路標識がある信号機のない交差点を左折し、細い山道を駆け上がる。曲がりくねった山道だが道なりに進む。途中、林業学校の研修所を通り越しさらに進むと、急に大きな建物が右手に出現する。

これはペンション、シンフォニーと看板はみえる。ここを過ぎてまもなく、左側に未舗装の林道が現れるので、そちらに進む。ここまでくればこの林道を15分も走れば岩嶽山の登山口への駐車場である。日曜日ということと、アカヤシオのシーズンということもあって、ここに着いたのは7時30分であったが、20台ばかりの駐車場は一杯で、道の路肩の空きスペースにくるまを止めることにした。

 

7時40分に出発だ。くるまをシャットアウトされた林道を15分ほど歩き、いよいよ山道に入る。

しばらく行くと、真っ赤に塗られた吊り橋のところで登山道はふたつに別れるのであるが、吊り橋を渡らず直登するルートは距離は短いが急登が続く。

吊り橋を渡るルートは荷小屋峠を経る比較的緩やかな登りなので、このルートを選んだ。

少し登ると、どうしても女房が遅れてしまう。山歩きはなれていないから仕方ないのである。そこで、前々から考え用意してきた新兵器?を使うことにした。

丸くわっかにしたロープにより、昔やった「電車ゴッコ」の要領である。わっかの中にふたりが入り、私が運転手役でロープを引っ張るのである。

私にもそんなに負担にはならず、女房も楽だというし、何よりも離れ離れにならずにすみ、これはよいと自己満足をしていた。

ロープはすぐには用意できなかったので、今回はショルダーバックの肩掛けベルトが家に二本あったのでそれをつなぎ合わせて利用した。

 

出会う人たちが、ニコニコ笑っている。また、「これはよい。今度、私が女房とくるときにこれを利用させてもらおう」と声をかけてくれた人もいた。私は得意だったが、女房はちょっと恥ずかしいおもいをしたのではなかろうかとおもわれる。とくには口に出さなかったが。

 

こうして、高塚山に続く縦走路の分岐点に出る。ここまでくるとあとは尾根道を岩嶽山へはあと数十分である。またこの尾根道は両側にヤシオの群生だあり、これを観ながらの楽しい歩きになる、ところどころ切り立ったヤセ尾根があるので注意は必要だが。

この尾根道が絶好の「アカヤシオ」の鑑賞地点なのでゆっくりと、充分に鑑賞しながら、またシャッターを切りながら歩いた。岩嶽山の山頂は針葉樹が邪魔をして展望がやや悪いのである。

頂上には10時であった。2時間20分で登ったことになる。

10時のおやつのつもりで、コンビニで調達したおにぎりとジュースを飲んだ。記念写真と撮って、10時25分には下山の途につくことにした。登りとは違った急な道を選んだ。

 

下りの道は、あの「電車ゴッコ」は通用しなかった。ゆっくりゆっくり、女房のペースで降りるしかない。

しばらく降りると下の方の林道からサイレンを鳴らした、くるまが走っているらしい。くるまは見えないが、いやにサイレンの音だけが大きく響き渡る。

登ってくる人の話では、どうも怪我人がでたようで、救急車が林道を登山道入り口に向かって走っているらしい。それからすぐに道端に横たわっている男性がいた。足を怪我して、歩けないという。顔つきはいたって元気で、冗談なども言っていたが立てないという。木の根っこに足をとられて転倒したという、骨折か捻挫なのだろうか。携帯電話で連絡したのであろうか、いずれにしても救急隊がこちらに向かっているので、一安心である。奥さんらしき人もそばについているので、我々は下山することにした。

しかし、下界と連絡がついたからよかったとおもう。携帯電話の恩恵をみせられたおもいが強くする。

私も似たような経験を若いときにしたことがある。20歳代の前半であった。

丹沢の表丹沢縦走でのことであった。雨に降られていた。男性三人、女性三人、6名の同年代のパーティであった。

一人の男性が転んでしまった、いきよいよく転んだのであるが、柔道の心得のある男性だったので手を受身のように使って頭などを強打することもなく、たいしたことはないとおもっていた。

しかし、しばらくすると彼は顔にあぶら汗をにじませて、左手が痛いという。

左手をみると手の平に1cm程度の切り傷があり、血が少々出ていた。たいしたことはないとこの時もおもっていた、少しオーバーに痛い痛いと言っているものとおもっていた。ところがしばらくすると、彼の左手の、手の平とは反対の甲の方に出っ張りがでてきた。これは骨ではないかとおもえてきた、骨折をしているのではと、これは急いで下山しなければと、下山を急いだ。

しばらく行くと、数名のパーティに出会った。我々よりも山なれをしていそうなパーティだったので事情を説明して、彼の手の平を見せると「これは、骨折しているようだ」というのである。骨折となると急がなくてはいけない、というのである。また、手馴れた手つきで彼の左手を白い三角巾で肩から吊ってくれた。たまたまこの数人のパーティは医師のタマゴのインターンであることがわかった。運が良かったとおもった、適切な指示をもらえたとおもって、その指示に従った。

 

一人だけ早く下りて、救急車を呼んだ方が良いということだったので、リーダー役の私が走って下山することにした。

1時間ぐらいは走っただろうか、雨はやんで陽もさしていた。下山するとすぐ交番がめにとまった、おまわりさんがいて連絡をとってくれたが、救急車は厚木からくるので時間がかかるという。時間がかかっても仕方がない。そのうちにおまわりさんが、バスのほうが早いかもしれないと言い出した。バスは厚木行きである。でもバスで厚木までではとおもっていると、バスにとりあえず乗って途中で救急車と行き会うから、そうしたら救急車と乗り換える、ということであった。そういうことかと、私は納得した。そうこうしていると、怪我人を含めて皆下山してきた。

そしてバスに乗る。おまわりさんはバスの運転手に救急車と出会ったら、怪我人を救急車に引き渡してくれるように頼み、救急車にはその旨伝えてあるということであった。

 

バスは怪我人を含めた我々を乗せて発車した。そして救急車とすれ違うとおもっていたが、バスの脇に止ったのはジープであった。どうも救急車が出払っていて、このジープしか調達できなかったらしい。

私と怪我人がそのジープに乗り換えて厚木市内の外科医に向かった。他の仲間たちはバスでそのまま帰ることになる。

外科医につくとすぐにレントゲンを撮った。そしてすぐ骨折ではないことがわかった。レントゲンには鉛筆ぐらいの太さがある棒状のものが写っていた。そしてすぐそれの除去手術がはじめられ、その棒状のものをみてびっくりした。

よく、山道を整備するために、刈ったあとの篠竹の鋭利な切り口をみることがあるが、丁度それであった。篠竹が手の平から刺さり手の甲に抜けようとしていたのである。

これでは痛いはずである。手術後ふたりで小田急線に乗り、板橋の志村坂上にある彼の家まで送って行ったが、彼もはじめての登山でこんな目に会い、山登りはこりごりだとおもったのではなかろうか。

 

そんな昔のことをおもいだしていた。我々も大分下山したのであるが、救急隊とは一向に出会わない、救助にはこの道しかないはずだが、特別なルートがあるのだろうか、とおもうほどである。

やはり、特別なルートなどなかった。かなり下の方にきてからふたりの救助隊の人と行き会った。一人はかなり息を荒くしていた、もうひとりが「ゆっくり  

でいいよ、どうせ我々だけではどうにもならないし、後の連中がこなければダメなんだから」などといって励ましていたが、こんな若い男性でもきつい山道なのである、怪我をした体格によい男性を担いで下山することは、さぞ大変なことであろうと、さっせられる。それから15分ぐらい下山すると、スノーボートのような担架を担いで数名の救助隊員がやってきた。

でも、この急な山道をあのスノーボートのような担架に怪我人を乗せて、この山を下りることができるのだろうかと、さらに心配になる。

しかし、ここは専門家に任すしかないので、「ご苦労さまです」と挨拶をして、我々は下山を急ぐ。

しばらくすると、雨が降り出してきた。我々はもう林道に出てきているので、よいが怪我人の救助は雨では、さらに大変さをますことになる。

林道には救急車が待機していて、さらに消防車まできていた。

 

我々が駐車場に着いたのは、12時45分であった。下山には2時間20分かかったことになり、登りも下りも時間的にはあまり変わらないという結果になった。

しかし、素晴らしい花と景色に恵まれた、山歩きで満足のいくものであった。

そして、きた道をくるまで慎重にとばして帰路についた。

雨はますますはげしくなってきた。

終わり
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