四国一周ドライブ旅
2008・10・19〜23
四国には、6年半前に、やはり車で一周してきたが、それ以外行っていない。
それで、今回は、まだ行ったことのない「小豆島」をまじえて行くことにした。

それに「四国カルスト」、石鎚山<いしづちさん>のふもとにある「面河渓」<おもごけい>
小豆島にも関心があったので、この三つもコースに加えた。自分で計画すると、このように自分
の行きたいところを自由に選べる利点がある。
宿なども贅沢をしなければ、経済的にもツアーよりも有利になる。
しかし、ネット予約など事前の計画立案も重要になる。

一日目は、
浜松から高知まで高速道路でいっきに行くことにした。高知南国ICから「竜河洞」<りゅうがどう>
へ、その後高知市内、高知城、桂浜などを観光して高知泊にした。
そのために浜松を早朝の3時に出発した。前の晩は午後7時に就寝したのである。
もうひとつ、3時に出発した理由は高速道路ETC早朝割引50%OFFを利用するためである。
こうして、浜松西ICを3時20分に入り、早朝割引の権利を得て、京都・桂川PAには、4時30分
に到着、大阪を過ぎ山陽道に入り倉敷JCTを、瀬戸中央道・与島PAには8時30分着であった。

そして、竜河洞には、10時45分であった。6年半前にもきたのであるが、洞内は初めてみた
風景ばかりである。
竜河洞を出てからは、高知市内に向かい途中で昼食として、四国といえばうどん、ということで、
うどんを食べた。前回は、うどんの汁が薄くてうまいとはおもわなかったが、今回はまあまあの味で
あった。「うどん・せいわ」という店であった。
その後、高知城公園の駐車場に車を駐車して高知城を見学した。周りの公園内では、何かイベント
をやっているようで、着飾った人たちが集っていた。

高知城の後は、市内を走り、JR高知駅をみてみたが、改修工事中であった。そして、「はりまや橋」
をみながら桂浜に向かった。そして、前回はパスした「坂本竜馬記念館」を見学した。
そして、市内の今夜の宿泊先、「ウエルサンピア高知」には、午後3時30分には到着した。
いつも、のんびり旅なので宿には4時には到着するように行動している。
サンピアは、厚生年金の施設であるがリーズナブルではある。素泊まりではあるが、ツインで9600
円である。あらかじめネット予約をしている。

そして、早めに風呂に入り、出てからはお決まりのビールで乾杯、そして持ち込みの焼酎を少し!

その後、夕食は、宿のレストランですませた。ここでは、ビールと燗酒にした。そして、早めの就寝で
ある、明日にそなえて・・
こうして、旅の一日目は無事に終了である。一日目の走行距離、652kmでした。

瀬戸中央道路、与島PAからの展望。
上部が道路、その下がJRの鉄道である。丁度列車が
通った。
竜河洞、内部。「雲の掛橋」と名づけられた鐘乳石。
竜河洞、内部。
高知城
高知城、大手門
高知城公園内では、イベントが開催されていた。
はりまや橋、奥の赤い橋が「はりまや橋」だそうです。
JR高知駅、現在改良工事中だそうです。
そして、桂浜にある「坂本龍馬記念館」へ
ここの向かいには、国民宿舎・桂浜荘がある。前回は、ここに
泊まったのであるが・・
坂本龍馬記念館の内部。龍馬の画像が貼り付けてあった。
龍馬記念館の展望台からみた、桂浜の海岸。
第一日目の宿泊場所、「ウエルサンピア高知」、厚生年金の
施設である。

二日目 (10月20日・月曜日)
ウエルサンピアを7時35分に出発、四国の南岸沿いを四万十市(旧中村市)へ向かう。
高知市内は、月曜日の通勤ラッシュで少し混雑していた。そこを抜けて、国道56号線を・・
鯨がみえる町といわれる「佐賀町」を経由して、10時30分にはJR中村駅に、ここの観光
案内所で、四万十川観光船乗り場を確認して、「やかた船・神川」<しんかわ>に行くこと
にした。前回もここの屋形船を利用したのである。中村駅から約20分程のところにある。

お昼の弁当を予約して、11時30発とした。お客も少なく、我々ふたりだけのようであった。
ところが、出発直前になって老夫婦ふたりの乗り込んできて、結局、4人での屋形船であった。
船は、20人程度は乗れる船である。船外機のエンジンも軽やかに出発した。
すぐ下流には「佐田沈下橋」があるが、ここは浅瀬になっているとか、ここから上流の方に
約50分の船旅である。船長は、仙台出身の「広瀬川」歌手”さとう宗幸”さんのような感じで、
四万十川の清流の話をしてくれて、感じのよい船長だった。
今年は雨が少なく、いつもは年5〜6回は、沈下橋が水に浸かるくらいの雨が降るそうだが、
今年はまだ一回も、それがないとか・・ 台風も一回もきていない・・

一緒に乗った、夫婦は前日の19日の「四万十川スーパーマラソン」の60kmコースに出場
し見事完走したというご主人であった。大正の後期生まれとか・・ 凄い人もいるもんである。
九州からきていて、四万十川には毎年きているという。奥さんは、ついてくるだけとか・・
こうして、12時30分頃には下船して、そこからは南に車で下り「足摺岬」に向かった。
行きは、足摺スカイラインを通り、帰りは半島の東側の狭い道路を通った。
観光バスは、この道は通れそうもない、スカイラインを往復するしかないようにおもえた。

こうして、四万十市に戻り、中村駅近くの「サンルート中村」というビジネスホテルに泊まった。
勿論ネット予約をしていた。
夕食は付いていないので、中村駅近くの中華店で餃子などで、私はイッパイやった。
店の名前は、「支那虎」といった。
こうして、きょう、二日目の日程は終わった。二日目の走行距離、234kmでした。

屋形舟の舳先<へさき>
遠くに小さく、みえる沈下橋は、佐田の沈下橋である。
このような屋形舟でした。
さとう宗幸さんのような船長さん!フクトメさんと言っていた。
屋形舟の弁当、四万十川の鮎の塩焼き、手長エビ、ゴリの
佃煮、青海苔などなどが美味しかった!
お茶もついて、1050円でした。
昨日の19日に、60kmマラソンを完走したという九州の方
足摺岬の燈台と海岸
足摺岬の美しい海岸

三日目 (10月21日・火曜日)
宿、サンルートを午前7時45分に出発し、四国の中央山岳地帯の「四国カルスト」に向かった。
国道439号線を四万十大正町を抜けると急激に道幅が狭くなり、難儀をしいられた。
これが国道か?とおもわさせる狭さである、乗用車<シビック>がやっと通れる道幅である。
対向車がきたら、すれ違いもできないし退避場所もない道である。でも、間違いなく国道である。

ところどころに標識がある、「国道439号線・梼原町まで20km」とかである。「え〜!この道が
20kmも続くの!まさか!」とおもったが、その通り続くのである。
道幅が広くなってから、こんな看板が道路脇にあった、「狭い道、遠い道、危険な道、439号線!
何とかして!」と・・  多分、梼原町<ゆすはらまち>の住民の気持ちであろう!

我が妻は、シビックの手すりにつかまり、手がしびれた!と言っていた。恐怖で、手すりにしがみつい
ていたのであろう。私も二度と通りたくない道であった。ビデオカメラに記録しておきたかったが、と
ても、その余裕はなかった。ライトをつけ、曲がり道ではクラクションを鳴らし続けた。
幸い、すれ違う車はなかった、左側は断崖、右手は崖の上り坂、峠を過ぎると下り坂・・
高速道路よりも、このような山間部の生活道の整備も必要ではないか、とつくずく感じた。
せめて崖側にはガードレールぐらいは設置してもらいたいところである。
しかし、梼原町に到着して驚いた、立派な街並みの道路である。距離は短いが町中の道路は整備
が行きとどいていた!

町の総合庁舎も木造造りで立派であった!この庁舎の内部に入り、トイレを借りた、トイレもきれいで
あった。そして、この町を抜けて、四国カルストの地芳峠<じよしとうげ>に向かうと、再び狭い道に
悩まされた!この梼原町は、陸の孤島とおもわれるような地理条件である。

こうして、兎も角も四国カルストの分岐点、地芳峠に到着した。やれやれである。
四国カルストは、素晴らしかった!1450mの高原である、姫鶴平<めづるだいら>、五段高原、
天狗高原とカルスト<石灰の岩石点在>が続く!空気はがさわやか、風が気持ちいい!でした。
狭い道の厳しさがいっきに吹っ飛んだ感じでした。

地芳峠を後にして、石鎚山のふもと「面河渓」<おもごけい>に向かいました。
地芳峠を下る、国道440号線、33号線もそれほど広い道でもなく観光バスでの通過はむりではない
かとおもわれる国道である。四国カルストは素晴らしい風景であるが、観光バスが入れれば大きな
観光資源になるのではないかと感じた、しかし、あまり観光地化するのも考えものではある。

そして、面河渓で一服してから来た道を戻り、松山市に向かった。
松山に向かう国道494号線、黒森峠越えも狭い国道であった。四国の山間部の道路は一般的に狭く
あまり走りたくない道ではある。
こうして道後公園のすぐそばの「メルパルク松山」である、今夜の宿には午後4時に到着したのである。
今日のドライブは、狭い道がほとんどであったためであろう、疲れた、という感じである。
そして、道後温泉のお湯につかって、その後は、お決まりのビールであった。
夕食も、釜めしがついて満腹まんぷくであった。

今日の走行距離は、249kmであった。

梼原町の美しく整った街並み
電信柱なども地中であろう。この先の道が再び狭い道とな
るのだ。
梼原町総合庁舎、木造の庁舎である。
総合庁舎の内部
正面に総務部、という掲示があった。トイレもきれいで、この
手前にあった。
五段高原のカルスト
姫鶴平のカルスト
地芳峠から姫鶴平を望む
五段高原の放牧とカルスト
カルストのアップ
姫鶴平
天狗高原のススキの原
天狗高原から「天狗の森」
面河渓の清流
面河渓の岸壁
面河渓に行く途中の昼食のうどんを食べた道の駅風の
お店で、うどんの後の「あまご」の塩焼きをいただく。
四日目 (10月22日・水曜日)
朝起きて、道後温泉本館で、6時30分から刻太鼓(ときたいこ)が鳴り、温泉情緒がいい、というの
のと、そのそばにある市電駅、道後温泉駅前にある「坊ちゃんカラクリ時計」が毎時0分に楽しい
演出をみせてくれるというので、6時過ぎにホテルの外にでてみた。外にタクシーが止まっていた
ので、運転手に、そのことを聞いてみたら、刻太鼓は、6時からで、もう叩き終わったよ、と言われて
しまった。それの「坊ちゃんカラクリ時計」も、8時最初だというので、朝食後の7時30分に改めて
行くことにしたのである。

そして、カラクリ時計の演奏とカラクリを見物したあと、メルパルクを8時40分に出発し高速道路を
高松に向かった。高松港からフェリーで小豆島に渡るためである。
四国の高速道は、車も少なく快適であった。高松のフェリー乗り場には、10時40分に到着した。
当初の予定では、小豆島土庄港(とのしょうこう)に行く予定であったが、小豆島池田港行きが
すぐに出るというので急きょ変更した、土庄港と池田港は少ししか離れていないという係員の言葉
をきいたのである。

池田港には、1時間あまりのフェリーの旅であった。フェリーは、結構ゆったりとしていて豪華な船に
おもえた。
小豆島では、まず「寒霞渓」<かんかけい>に行くことにした。ところが、天気の雲行きが怪しくなって
きた。途中、銚子渓の「お猿の国」というところがあったので、入場してみたが、入場者も少なく、猿も
放し飼いで恐そうだったので、早々に出て、寒霞渓のロープウエイ乗り場にきてみたが、霧が濃くなって
いて、これでは、ロープウエイで渓谷に降りても、何もみえないのではないかとおもい、ロープウエイは
パスしてオリーブ園に行くことにした。

寒霞渓の頂上駅を車で下ると、下界は曇り空で山の方が雲がかかっていた。それで、「オリーブ道の
駅」によってから、時間があるので、予定には入れていなかった、「二十四の瞳映画村」に行くことに
した。この映画村は、田浦という岬の突端にあり、車でないと不便な場所である。
この映画村の少し手前に「岬の分教場跡」があるが、そこの駐車場から、いきなり乗用車が飛び出して
きた。クラクションを鳴らしたが、気にした様子もなかった、ナンバープレートをみると「所沢」ナンバーで
あった。私の故郷の埼玉県である、老夫婦が乗っていた、しっかり運転してくださいよ、と口の中で叫ん
でしまった。

そして、今日の宿は、土庄港のそばでるから戻らなくてはならない。先ほどよった、「オリーブ道の駅」を
過ぎると、「オリーブ園」という看板がでてきた。こちらが本物?の「オリーブ園」であることがわかったの
である。ここによってから、土庄港のすぐそはの民宿「マルセ」にたどり着いた。16時30分であった。

マルセでの夕食は、地魚料理で、瀬戸内海のタイの刺身や、タイの兜やき、地魚の天ぷらであった。
4日目の走行距離は、236kmであった。
道後温泉・メルパルク松山
道後公園のわきにある
「坊ちゃんカラクリ時計」の演出・演奏中
上部の屋根が2〜3mせり上がっている
市電、道後温泉駅前に展示されている、昔の坊ちゃん列車
である
道後温泉本館
大衆浴場の「神の湯」や「坊ちゃんの間」があるという
明治27年建築の木造三層楼・城郭式の建物で、屋上にあ
る振鷺閣<しんろかく>が古風な外観を一段と諏を添えて
いるという
小豆島に向かうフェリー
銚子渓の「お猿の国」の放し飼いの猿
寒霞渓の頂上駅の展望台
霧で、何もみえない!
「オリーブ道の駅」のオリーブ記念館
二十四の瞳、「岬の分教場」
二十四の瞳、「みんなで あそぼ」とある
映画村の内部
懐かしい広告もいっぱい!
分教場行き、のバス  昔のもの
ここが、「オリーブ園」で〜す!
オリーブの樹の原木だとか
オリーブがなっていますね!黒っぽいのがオリーブです
小豆島の玄関口、「土庄港」フェリー乗り場
五日目 (10月23日・木曜日)
22日の夜から雨が結構強く降っていた。朝になって雨は小降りにはなってきたが、時々
雨が降るという天気であった。今日の予定は、11時40分、福田港発のフェリーで姫路港
まで行き、山陽高速道、姫路東ICから大阪を経由して、新名神高速で亀山JCTまで、ここ
から東名阪から伊勢湾岸道を豊田JCTで東名という道順であった。

民宿の支払いは事前にカード決済となっていたので、昨夜の飲み代だけを支払った。
民宿のおはあさんだったが、四国カルストの道の狭さを話したが、同感で高速道よりもよくして
もらいたい道がいっぱいあるとも言っていた。
それに静岡県から来た事を告げると、だいぶ前にバスの中から富士山を見た時には、バスの
中で全員が立ち上がって、富士山だ〜!と叫んだこと、茶畑がきれいだったことなどを、話して
くれました。

そうです、富士山だってあまりみれない地域の方がたくさんいるんですね。
こうして、民宿を、9時に出て福田港までは40分ほどかかるのであるが、時間があったので、
昨日のオリーブ園でお土産を買ったり、道の駅「小豆島ふるさと村」を覗いて、その先の半島、
神の浦というところを巡って、福田港に着いたのは、まだ11時前であった。

そして、福田港出港は予定通り、11時40分で姫路港到着は、13時20分、1時間40分かかった
ことになります。そして、
東名は、24日まで集中工事ということで、やはり豊田JCTからは大渋滞であった。
予定よりも、1時間ちょっと遅れで我が家に到着したのは、19時15分であった。
今日の走行距離は、393kmで、5日間の走行距離は、1764kmであった。
よく走りました、ご苦労さま!

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