両国界隈史跡探訪<旧盛岡藩士桑田・関東支部研修会>
2009・1・15
集合は、両国駅前、11時だった。浜松を8時19分発の「こだま」にした。
東京駅には、10時17分着で、秋葉原で総武線に乗り換えて、ふたつ目だから楽勝で到着できる。
浜松駅のホームに行ったら、新幹線が関ヶ原の降雪で遅れているという。それで、まだ
先発の「ひかり」が止まっていた。ホームにいた駅員に聞いてみた。新幹線、遅れているんですか?
すると、駅員は、関が原の雪でね!自然界のことで、仕方ないんだ、と言わんばかりです。
すみません、雪のために5、6分の遅れがでています!とでも言ってくれれば、とおもって、むっとし
たのでした。
どのくらい遅れているのかがわからなかったので、別の駅員に聞いてみました!何分ぐらい遅れて
いるんですか?と、すると、5、6分です、こだまは、このあとすぐにきますよ!というのです。
この駅員の方がよっぽど親切に感じました!
このような、お客相手の仕事は大変だな、と感じたのです。お客が、どんな状況で何を求めているかを
瞬時に判断して、的確な応対をしなければいけないのです。でも、客相手であれば、それが求められる
のです!ちょっと、嫌な気分で新幹線、こだま、に乗り込み5分遅れで発車し、東京駅にも5分遅れで
到着しました。車内のアナウスでは、お急ぎのところ、新幹線が遅れて大変申し訳ありません、5分遅れ
で到着いたしました!とありました。
このようなアナウスで、何となく、ほっとするものです!浜松駅でも、このようなアナウスや掲示があれ
ば、そうか5、6分の遅れか、それなら私の場合は、大勢いに影響はないな、などと判断できたのに・・
というおもいが強かったのです。
兎に角、両国へは、集合時間に充分に間に合って到着できたのです。
両国駅前の蔵前国技館では、大相撲初場所の真っ最中で、相撲部屋名や力士名の入ったのぼりがは
ためき、力士姿も、あちらこちらにみえました。
そして、定刻には40名ばかりの会員が集まり、両国界隈の史跡探訪に出かけたのです。
まずは、「回向院」<えこういん>へ、そして、江島杉山神社、吉良邸跡、勝海舟生誕の地、などを巡り
昼食は、第一ホテル両国内の「東天紅」にての中華料理を食し、その後、希望者は、江戸東京博物館
で開催されている、今、話題になっている、篤姫の乗物展「珠玉の輿」<たまのこし>を見学して、午後
3時過ぎに散会となりました。
東天紅の昼食事には、盛岡本部からきていただいた、下山理事長から、旧盛岡藩士桑田の実情と問題
点を分かりやすく説明をいただいたのでした。
私は、東京駅発、15時26分のこだまで浜松に帰ってきたのです。我が家には、18時ちょっと前に到着
でした。
国技館では。大相撲初場所の真っ最中でした! |
集合は、ここ両国駅です!40名が集まりました! |
両国駅近くの道端には、このような力士のミニチュア像があち らこりらに。 |
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回向院<いこういん>の正面です。両国駅から歩いて10分 ぐらいでしょうか。中には、力塚、鼠小僧の墓、などがありまし た。 |
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回向院内の「力塚」です。ここ、回向院は、勧進相撲が初めて おこなわれたところとか、1768年、明和5年だったそうです。 |
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鼠小僧の墓も、ここ回向院にあります。 | |
江島杉山神社 杉山和一、幼くして失明、江戸に出て、検校<けんぎょう> 山瀬琢一に学び、また琢一の師、入江良明の子、豊明にも 鍼術を学び奥義を究めました。そして、京都に行こうとして 江ノ島弁財天に至り、ここで断食祈願し、神のお告げを受けて より簡便な管鍼の術を考案し、杉山流鍼術を開き、名医に なったということです。 |
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勝海舟の生誕の地 その石碑です。両国公園内にあります。 |
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吉良邸跡 忠臣蔵・赤穂義士のあった、吉良上野介義央の屋敷跡です。 なまこ壁の外観だけですが・・ |
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なまこ壁の内部です。吉良邸跡 | |
第一ホテル両国・東天紅での下山理事長の桑田についての 改革案についての説明です。 |
昼食のあと、希望者のみで、江戸東京博物館で 開催中の篤姫の乗物「珠玉の輿」<たまのこし> うごく、美の御殿、を見学したのです。 内部は、撮影禁止でした。 |
「珠玉の輿」展示場入口の飾られていた、豪華大熊手。高さ3mぐらいは あるでしょうか! |