岩手宮古へ
2012・5・26
妻の実家、岩手県宮古市へ行ってきました!昨年3月11日の「東日本大震災」後、初めてです。
姉が腎臓を患って入院中ということもあり、見舞いがてらであった。
さいたま市岩槻に住む、妹夫妻と4人で出かけました。

26日早朝5時10分に出発、東名はトラックが少なく走りよかった。新東名ができて、そちらに廻った
車も多いのであろう。清水JCTから、新東名を走ってみた。こちらも車の数は少なく走りよかった。
東京料金所の手前「港北SA」で休憩してから料金所を出たとたんに車が詰まっていた。

道路の表示には「見物渋滞」と出ていた。事故か火災かで、それを見物する車が速度を落とすための
渋滞かとおもっていたが、妻が、スカイツリー見物ではないの?と言われてハットした。
そのようであった、首都高速も大渋滞のようで三車線の右側二車線は渋滞、左側はやや動いていた。
首都高速の手前、用賀ICで環状8号線に降りる車のようなので、我々も首都高は諦めて環八で行くこと
にした。

環八は、車は多かったが、渋滞はなかったので外環大泉ICまでは、それ程時間をようさなかった。
外環道を川口JCTを浦和を経由して東北道に入り、岩槻ICで、岩槻に住む妹夫妻宅に向かった。
そして、昼食をご馳走になって、13時に4人で出発した。岩槻ICから、最初の休憩は那須高原SAだった。
そして、今夜は保養所「いなわしろ荘」に泊まることになっていた。
いなわしろ荘には、16時ちょっと前に到着した。

「いなわしろ荘」の入り口である。芝桜、山ツツジがきれいに
咲いていた。
山桜だろうか、もうほとんどが散ってしまっていたが、桜が
咲いていた。
桜の木の下は、ピンクのジュータン状になっていた。
いなわしろ荘、朝食の内容です!ちょっとした夕食のよう
です。
食堂入り口には、東日本大震災の復活を願って、
「がんばろう!日本!!」が!

5月27日、いなわしろ荘から岩手県宮古市に向かってフィットに4人が乗り込み出発した!
9時ちょっと前に「磐梯高原IC」に入って、磐越道を郡山方面に向かい郡山JCTより東北道に
入った。「鶴巣PA」と「紫波PA」でトイレ休憩をして「盛岡南IC」で降りて国道106号線に向かった。
ICを降りてすぐに出光GSで給油した。33リッターで満タンだった、561km走ったので燃費は、17km/リッター
だった。G価格は138円/リッターだった。
高速料金は、磐梯高原から盛岡南まで、3350円と安かった、何でだろう?9時前に高速に入って通勤割引か
それとも「東北地方の割引」又は休日割引があるのか定かではない。

盛岡南ICから30分、区界峠の道の駅に到着した。
たいがい、ここで休憩をとることにしている。
ここからは「宮古市」に入るそうだ。
現在工事中であるが、この看板をみると宮古市から
秋田、つまり日本海まで「国道46号線」でつながるという。現在は、秋田から盛岡までは国道46号線、盛岡か
らは国道106号線となっている。
観光案内にも、ここから「宮古市」を大きく掲示されてい
る。ここから太平洋まで宮古市だ。

ここ、区界峠から国道106号線<閉伊街道>を太平洋に向かう。

国道106号線・閉伊街道の川井村川内に最近できた
道の駅・やまびこ館である。ここでトイレ休憩とちょっと
した買物である。
大型バイクもリーリングで出かけてきているのであろう
天気もよいし、バイクも気持ちいいであろう。

ここからは、宮古の実家<兄宅>までは40kmあまりである。
宮古市緑が丘の兄宅へは、14時30分着だった。
そして、2年振りの挨拶を交わした後、姉が入院している宮古病院を訪れた。妹と5人で行った。
姉は、腎臓を患ったといい食欲もなく、透析をしているという。そのためだろう、痩せてしまい身体も小さくなって
しまったようだ。
その後、大津波の災害地、「田老町」や「グリーピア」近くの仮設住宅などをみてから兄宅へ戻ってきた。

「グリーンピア」という元は「厚生年金施設」だった宿泊
施設です。ここは、高台にあるので、津波の影響は受けていません。
グリーンピアの近くにある「仮設住宅」
同じく仮設住宅ですが、同じ場所で撮影角度が違います

そして、田老町の「世界一の防波堤」と言われた、防波堤に寄ってみた!

左側の堤防が「世界一の防波堤」と言われていた、防波堤である。ここを大津波は越えてきて、右側の民家などを土台を残してさらっていった!
左側が海側です。
防波堤の上から海側を見ました!中央の山の切れ目か
ら大津波が襲ってきたということです。右側に海の青さ
が少しみえますね。
大堤防の外側にも家があったのでしょうか?外側の堤防は破壊されたようです。

宮古市内から浄土ヶ浜へ向かうところの「鍬ヶ崎」地区も大津波の被害は甚大だったところです。
テレビの映像でも、よく公開されていました!

土台は残ったまま、もう草が生え茂っています。
中央上に浄土ヶ浜へいく橋がみえますね。あの橋から
は、この鍬ヶ崎の惨状が一望です。
小学校がかろうじて残っています!
コンクリートの建物は津波に強いようですね!
岩手県では、地震の被害はほとんどみられず、食器棚
などから食器が落ちたということもなかったそうです。
ただ、津波の被害が甚大だったということです。

次の日(28日)は、昼前から雨降りの一日でした。
朝のうちに墓参りへ

慈眼寺の山にお墓があります。妹夫妻と4にんでの
墓参りでした。
信夫家の墓参り

そして、実家の近くの「魚菜市場」へ

魚菜市場も津波の浸水を受けたようですが、大きな被害
がなく、今は営業していますが、地元、宮古港からの水揚げ
が少なく、商品の価格も高いということです。
魚菜市場の内部です

そして、姉(坂本)の墓参りでした!

このような緑に囲まれた細道をお墓へ
坂本家のお墓参りでした!

そして、雨の中を2台の車で、山田町、大槌町、釜石市の津波の被害をみてきました!
お昼は、山田町の「磯よし」で、磯ラーメンを食べてきました!

「磯よし」です。災害直後は、工事関係者で、この
お店は賑わったそうです!

そして、その晩は、昨日、今日のビデオの大映写会でした!
29日は、朝から晴れの天気、その中を一路、盛岡南ICへ、そして東北道を東京方面へ、岩槻ICで
降りて、妹夫妻をおろし一休みさせてもらって所沢へ!

新東名初走り
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