古希祝
2007・10・29〜31
中学校の同期の仲間達と古希を祝おうと、6月の同期会のときに会長から
提案があったのだ。10月頃、出雲大社で古希祝をやろうと・・  賛同する仲間が
何人ぐらいいるかを知るためだろう。数人では、この企画は成り立たない。

しかし20数名の仲間が賛同していた。それで今回の「出雲大社古希祝の旅」が
実現したのである。中学校は東京板橋だったから東京羽田から空路米子に来ること
になっていた。
私は浜松だから、前日に浜松を発ち米子のビジネスホテルに一泊して、29日早朝
に米子空港に向かい東京組の到着を待った。
もう一人、茅ヶ崎から米子空港に来た者がいた、須藤だった。二人で皆を待った。
飛行機は10分ほど遅れて到着した。8時50分だった。

私は、今回初めて新大阪より先まで新幹線に乗った。岡山まで「のぞみ」も初めて
乗車したのである。岡山からは特急「やくも」で米子まで行ったのだ。

今回の参加者は23名だという。堀江も車椅子で参加してくれた、ありがたいことであ
る。数年前に、この会の名前をつけた、「モーいい会」という。
意味はよくは分らないが、自分なりに考えると”モー”は、我々の多くは、昭和12年
生れ西暦では1937年生れである、この年は”丑年”である。
それと、お迎えは”ま〜だだよ”という意味があるのではないかと勝手におもっている。

今回も、私は話題の人になってしまった!最初の宿泊宿、玉造温泉・岩崎でのこと。
朝、岩崎を出てバスに乗ったのであるが、添乗員から私たち5人の部屋の鍵がフロ
ントに届いていないという。
部屋を出たのは、最後が私だった。トイレに入ってからフロント集合場所に行くから、
と言って私はトイレに入り、出てみるとテーブルにもどこにも鍵はなかった。
誰かが気を利かせて鍵を持っていったものとおもってバスに乗り込んだのである。
その後、ホテル担当者が部屋を探してくれたが、鍵はみつからないという。
5人は全員身体検査をしたが、鍵は出てこなかった。

鍵ぐらいスペアーキーもあるのだろうし、大したことはないとおもっていたが、ホテル側
は鍵がなければ今日のこの部屋の営業はできないという。大ごとである。
責任を感じて5人全員で部屋に行って鍵を探してみた。
しかし、やはり鍵はない!鍵は何処へ行ったのだろうか?私はまさかとおもったがトイレ
を覗いてみた。そうしたら、トイレットペーパーの金具の上に鍵がのっているではないか!

私は、鍵を忘れてはならないとおもい、鍵をトイレに持ち込んだのである。ところが用をた
したあと、鍵をトイレに持ち込んだことをすっかりと忘れてしまったのである。
このお陰でバスは20分も出発が遅れてしまった。私は、バスの全員に丁重に謝った。
それにしても、ホテルの担当者もトイレをみてくれればいいのにともおもったりした。

二日目のホテルを出るときに、私が「皆さん、鍵は大丈夫ですか?フロントにちゃんと返
しましたか」と大声でどなったので、バスガイドさんは、私のことを学級委員長と名付けて
くれました。何といっても、この仲間との旅は楽しいのである。

米子空港の到着ロビーである。真っ先に出てきのは、堀江
であった。
松江城
別名、「千鳥城」という。
米子空港からは、チャーターしたバスでの観光である。
45人乗りの大型バスに23人であるから楽々である。
2座席を独り占めであった
松江城を眺めながらのバスガイドさんの説明を聞く。
この山陰地方には詳しいガイドさんらしく、ガイド振りも結構
であった。中学の同期生とは知らなかったらしく、それを
知ってびっくりしていた。「古希のお祝いですか!」と・・
松江城の天守閣から、松江の街を望む。
遠く白く見えるのは、宍道湖である。
松江城の周りの堀を遊覧船で約1時間程巡った。
こんな低い橋も通過する。
こんな低い橋を通過すると時は、屋根を自動で下げる。
勿論、船頭さんが操作する。最前席には堀江も乗って
いる。少し長い距離は車椅子で移動するが、バスへの昇降
や、このような船にはちょっとした介添えは必要だが、何とか一人でできている。
奥さんの話では、この旅行のためにバスの乗り降りの特訓
をしたという。頭が下がるおもいである!
松江城の堀の木々もところどころ紅葉が始まっていた。
出雲大社での全員での記念写真

出雲大社の本殿
正面の大きなしめ縄が印象的である。
ここで昇殿参拝をした、凄く厳かな気持になった。
その大しめ縄である。
最初の宿泊先は、玉造温泉「岩崎」であった。
食事中には、舞台では演芸も・・・
どじょう掬いも披露してくれた。
同部屋の4人である。二泊目は左端の柴田が抜けた。
右から、芹沢、石井、須藤である。
足立美術館
横山大観の作品が130点以上展示されているという。
広大な日本庭園も有名である。
足立美術館の日本庭園である。
足立美術館の名園である。
三保ヶ関の海
この上に燈台がある。
大山寺
大山の中腹にある。皆で階段を100段登った。

二日目の宿
三朝温泉、「皆美」(みなみ)の玄関である。
三朝温泉、”皆美”でも演芸ショーがあった。
ここでは、私は飛び入りで「安来節」を師匠の真似をして
踊った。「皆さん如何ですか、一緒に踊りましょう」と声が
かかったが出て行ったのは私だけであった。
”皆美”での朝、出発である。仲居さんもいる。
堀江が車椅子からバスに乗ろうとしている。
三日目は、倉吉の街を散策した。
白壁が美しかった!
倉吉の街の一角
白兎神社
鳥取砂丘
遠くにみえる山の右先端が浦富海岸だろうか?
鳥取砂丘でラクダに乗って、記念になりますね!
光代さんと雅子さんです!
15分で3千円とか・・・
砂丘の先端の丘に来てバンザイ!

浦富海岸を遊覧船に乗って眺める景色は絶品!
山陰の松島と言われているそうである。
これこそ、山陰の松島である。
この後は、バスは鳥取駅まできてもらい、私と須藤を降ろして鳥取空港に向った。
そこから羽田に帰るのである。
私たち二人は、鳥取から京都に向かい、新幹線で浜松に帰ってきた。
須藤は、新大阪でもう一泊して帰るというので、ここで別れた。

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