四国の旅
H14・3・11〜14
熟年丸のオフ会のついでに四国を巡ることにした。
10日に金毘羅参りのあとに熟年丸の皆さんとお別れして、「かんぽの宿」
<観音寺>へ泊まる。次の日からは次のような予定で行動する計画である。

  1日目・3月11日
観音寺、9:30発〜国道377号、山本町、4km、9:45〜財田町、7km、
10:00〜池田町32号線分岐点、16km、10:20〜小歩危・大歩危観光
、大豊IC、41km、14:00〜高知自動車道、南国IC、21km、14:20〜
国民宿舎、桂浜荘に宿泊。

  2日目・3月12日
桂浜、9:30発〜春野町、仁淀川河口大橋、宇佐町経由、須崎町、27km、
10:30〜国道56号を窪川町、38km、11:30〜佐賀町、23km、
12:00〜中村市、30km、12:45〜四万十川観光、16:00
かんぽの宿・土佐中村に宿泊。

  3日目・3月13日
土佐中村、9:30発〜西土佐村、34km、10:30〜松野、広見町経由、
宇和島、33km、11:30〜国道56号、宇和町、大洲市、48km、13:00
〜国道378号、長浜町、18km、13:30〜松山市、44km、14:30
〜松山市内観光、16:30
かんぽの宿・道後に宿泊。

  4日目・3月14日
道後、9:00発〜松山IC、5km、9:15〜松山自動車道、三島川之江、71
km、10:00〜坂出、50km、10:30〜倉敷、43km、11:00〜中国
吹田、184km、13:00〜名神・東名、浜松西IC、274km、16:30〜
自宅着、16:45。
                 以上
このような予定でしたが、天気にも恵まれましてほぼ予定通りに旅を楽しみました。
4日目の帰り道は、姫路市で降りて「姫路城」を観てきました。
朝の出発は、9時30分などの予定でしたが、すべて8時出発と
しました。ゆっくり行動できよかったとおもっています。

<祖谷渓・大歩危・龍河洞・高知>

祖谷渓の深い谷間。
国道32号線を出合より祖谷渓の細い山道にはいる。途中で
工事の時間規制があって通行止めを20分ばかり・・・。
ちょっと、時間のロスがあった。
「小便小僧」
木立の影に隠れるようにあった。もう少しで、見落とすところ
だった。ちょっと、通り過ぎてから、ズームアップで撮る。
祖谷渓谷に架かる「かずら橋」
ここは一方通行である。間違えて出口より渡り、スピーカで
注意を受ける。
注意された後、入口より渡りなおし。1人、500円である。
真下は、水面まで42mだそうである。
「大歩危渓谷」
祖谷渓より、国道32号線に戻ってきたあたり。
大豊ICより、高知自動車道にのり南国ICへ。
土佐山田町にある龍河洞(りゅうがどう)に向う。
「龍河洞の内部」
ここ龍河洞は、日本三大鍾乳洞のひとつといわれている。
山口の秋吉洞、岩手の龍泉洞とともにである。
素晴らしい鍾乳洞である。

ここからは、龍河洞スカイラインを通り、野市町を経由して、
高知市内へ、道は渋滞していた。どこへ行っても渋滞は避け
られないらしい。
高知県庁近くにある、高知城。
「板垣退助の像」
高知城の下にある。
この後は、市内を走りまわる。「はりまや橋」は、うわさの通り
朱色の欄干のみである。ちょっと、寂しい。
こうして、高知市内を後にして、桂浜に向う。
今日の宿舎、国民宿舎「桂浜荘」の玄関である。
ここの国民宿舎は全国二番目を争っている。相手は、浜松の
「かんざんじ荘」である。
一位は、ダントツで茨城の「鵜の岬荘」だという。この順位は
集客率だそうである。
きょうは、お客が少ないためか最上階の真ん中の大きな部
屋に泊まらせてくれた。真下に桂浜がみえ、絶景であった。
かんざんじ荘は負けそうである。
その部屋からの日の出。
朝6時30分である。
同じく、桂浜荘の部屋からのみた、桂浜である。
朝なので、人影もない。
翌朝、宿を出てから、桂浜に行く。
桂浜にある、「竜馬の像」である。

これから、二日目の行動である。土佐湾の海岸線を土佐中村市までドライブである。
3月12日

途中、国民宿舎「土佐」を過ぎたあたりで数本の桜並木が
あり、花を咲かせていた。
「須の浦」
須崎市に向う海岸線で、背景の岬は、「甲崎」か?
浮鞭の海岸。<うきぶち>難しい字ですね。
鯨の見える町でPRをしている、佐賀町の少し西にある。
ここまでくれば、四万十川も、もうすぐである。


<四万十川>
四万十川では、屋形船に乗ろうとおもっていた。しかし、無案内である、どこへ行って
よいのかわからない。こんな時には、駅に行くのがよいとおもい、土佐中村駅に行く。
駅の観光案内所のおじさんが親切に道順まで教えてくれた。
中村駅は、土佐くろしお鉄道宿毛線である。

屋形船は、方々に乗船個所あるようだ。観光案内所で教え
てくれた個所よりひとつ上流の船乗り場である。
「神川」(しんかわ)というところだ。
菜の花がきれいに咲いていた。遠くに薄っすらとみえるの
は、沈下橋である。
「沈下橋」
このように欄干や手すりがない橋のことをいう、と屋形船の
船頭のおにいさんが教えてくれた。こんな橋が、四万十川
には、21箇所架かっているという。
台風などで、水量が増しても橋が流されないように、欄干を
設けていないそうである。
年に数回、この橋は水中に没するという。
屋形船で昼食をいただく。そのときでた、四万十川の幸、
青海苔とゴリである。ゴリの幼魚で佃煮になっている。
ゴリとは、五里のことで、河口から五里、つまり20km以上は
上流には住まないそうである。それで、その名があるという
ことである。この他に、手長エビや鮎の塩焼きなどがでた。
こうして、川面で揺られながら食べる食事は、また、格別な
味がした。
この後、土佐下田岬、トンボ自然公園などをみて、宿に向う。
宿は「かんぽの宿」であるが、設備が古く、トイレも部屋にな
く、ちょっといただけなかった。ただ、食事だけはよかった。

三日目、四万十川ぞいに宇和島に向う。
3月13日

四万十川、上流の「沈下橋」。
ここを渡るのである、緊張の一瞬である。ご覧のように欄干も
くるま止めもない。一歩間違えば、川の中にドボンである。
まずは、深呼吸をして、いざ、出陣。
四万十川、30kmばかり上流の様子。

ここからは、宇和島を経由して松山に向う。途中、宇和島の
少し北の予讃線「卯之町」駅により、伊予みかんの直売所が
どこにあるのかを聞く。
何といっても、わからないときは、駅に寄るのが一番である。
そして、お土産として、「文旦」(ぶんたん)を宅配便で送って
もらうことにする。
大洲市を過ぎ、長浜町に向う。
長浜町の「肱川」(ひじかわ)である。右側がすぐ河口である。
長浜町から双海町に向う中間地点にきれいに菜の花が咲い
ていたので、ちょっと立ち寄った。右側がすぐ、予讃線の線路
である。
海は、伊予灘である。
双海シーサイド公園。
道の駅もあったので立ち寄る。きれいな白浜がつづく。
家族連れが砂と戯れている。のんびりした風景である。
海は、伊予灘。

こうして、松山市内に入る。

いよいよ、松山の市内に入る。

<松山市内・道後>

松山城。
松山城は小高い山の上にある。
松山城、天守閣から松山市内を望む。
松山城へのロープウエイ。ケーブルカーも平行してはしる。
どちらも、おなじ料金です。どちらに乗るかはお客が選べま
す。右側をケーブルカーが追い越していきます。
松山市内。市電の停留場。
写真、中央に薄赤い「ぼっちゃんえきのりば」とあります。
ちょっと、見えないですかね?
きょう、泊まる「かんぽの宿」<道後>の玄関先です。
ここは、素晴らしい宿でした。ロビーがゆったりとして、くる
ま椅子用の大きならせん状のスロープがあり、その壁面に
は絵画が飾ってあって、また、天井はステンドグラスと、
ちょっとした美術館風である。このような空間は気持ちが
安らぐのです。
昨夜をおもい、同じかんぽの宿でも、こうも違うのかとおもう。
朝に出た、味噌汁の味も薄い、味噌を入れ忘れたのではな
いか、とさいおもわれる。四国は、どこに行ってもである。
これが、文化の違いなのだろうか?

四日目、四国の旅、最後の日である。この日は真っ直ぐに浜松に帰る予定で
あったが、少し時間があるので、姫路市に寄り「姫路城」を観ていくことにした。

<姫路城>

「瀬戸大橋」
くるまから写す。勿論、助手席からです。
「姫路城」
山陽自動車道を山陽姫路西ICで降りて・・・。
さすが姫路城である。奥女中部屋や武家部屋などがある、
回廊や、観るところがたくさんある。
一般的に城を見学というと、城そのものや天守閣だけであ
る。でも、ここは違っていた、観るところがいっぱいなのだ。
世界文化遺産、国宝といわれるだけのことはある。
天守閣からの眺望。
昼は、姫路城そばのお土産物屋の食堂に入った。
ここのお奨めは?と聞くと「ニューメン」だという。そうめんの
たぬきうどん風らしい。連れ合いは「たぬきうどん」を頼んだ
しかし、姫路も汁の味が薄い。はっきり言っておいしくない。
たぬきうどんは、関東の「きつねうどん」だ。アゲが入ってい
る、間違えではないかと聞いたら、「関東の方ですか?」と
店員に聞かれた。「こちらでは、これがたぬきうどんなんで
すよ!」、だそうです。

姫路からは一路、浜松に向う。午後6時、無事に家にたどり着く。
今回の旅行は、天気にはすごく恵まれた。観音寺で夜中に雨が
降ったが旅行中は、すべて快晴であった。
いつも、こうだといいが・・・。

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