中国旅行  <上海・蘇州>   2001・10.1〜2

 上海空港には、19時15分に到着した。到着したとたんに事件が起きた。

荷物のスーツケースを受取ったときである。スーツケースを押してみると、何となく違和感があった。どうも、グラグラするとおもった。スーツケースを横に倒してキャスターを覗いてみると一個のキャスターがなくなっていた。

ちょっとスーツケースを押してみると、もう一つのキャスターもとれてしまった。何とも押し難いし引いても抵抗があって、おもしろくない。

もたもたしていると添乗員がやってきた。「キャスターが壊れました」というと添乗員は「これは、ひどい!」といい、ガイドの銭さんに破損の状態をみせ、航空会社に掛け合ってこよう、ということになった。

 

添乗員は他のツアー客を一箇所にまとめ、ここで少しの間待っているようにと指示して私とガイドの銭さんとともに、空港事務所にスーツケースを引いていった。事務所からは責任者らしい女性の事務官と銭さんがスーツケースの破損個所をみせて、なにやら交渉している。このスーツケースは幾らぐらいしたか、などが聞かれたが、損害賠償には応じるようである。

 方法は二つあるという。一つは、この場での現金で賠償する方法、二つ目は、破損証明書を発行するから、その証明書で日本に帰ってから、保険会社にその損害証明書を提示して、修理をしてもらう方法、だという。

 

 ちょっと迷ったが、日本に帰って保険会社にいろいろ手続きをするのも面倒な気がした。それで、現金での賠償は幾らぐらいになるかを聞くと、200元だという。添乗員が「このスーツケースは3万円ぐらいしたんだ」といってくれたが、金額には関係なく200元だそうである。日本円で3000円である。

 荷物を預けてこのくらいの破損では損害賠償など対象にならない、とおもっていたから、一つ目の現金での賠償にすることにした。書類に住所を書き、パスポートを提示してすべては終わった。添乗員とガイドの銭さんのおかげで、貴重な体験をさせてもらった。ふたりには丁重にお礼をいった。

 また、ツアーの人たちには30分ばかり時間をかけてしまったことになる。

 「お待たせして、申しわけありません」というと「そんなことありませんよ、とんだ災難でしたね」とねぎらってくれた。

 

 こうして、上海の観光が幕をあけた。もう、20時近くになっている。

 18時ごろに簡単な機内食を食べているので、お腹は空いていない。そうそう、機内食には「ゲッペイ」<月餅>が出た。大きなゲッペイであったが、皮もしっとりとしていて、あんもしっかりと硬く、大変おいしかった。

 この時に、お土産はこれにしようと考えた。

 

 それから、夕食を「天地レストラン」というところで摂った。「小籠包」であった、やはりいつもの回転テーブルに料理が運ばれてくる。ここの料理はいままでのなかで一番味がよく、美味しく感じられた。しかし、おもったよりも中国料理は、あっさりしていて味も薄めである、意外な感じがした。私だけではなくほとんどすべての人が、同意見であった。

 

 食事が終わると、いよいよバスに乗って夜景見物である。何といっても「国慶節」と「中秋節」が重なっていてバスがどこまで行けるかまったくわからないという。段々と目的の場所、「ワイタン」<外灘>に近づいてきたことがバスからみる景色でわかる。イルミネーションで彩られたテレビ搭や上海で一番高いといわれる88階のビルが鮮やかに観ることができた。

 バスの運転手がこれ以上は行けない、と言っているようだ。バスを降りて歩くことになる。凄い人出である、100mほどの道路が人でいっぱいである。ワイタンに向って歩いているらしい。大きなビニールの人形を抱えた若者が多いようである。グループで大はしゃぎしながら歩いていた。ガイドの銭さんの話では、若者はこうして夜景観賞といって出てくるが、年よりはあまり人出の多い、このようなところには出たがらない、家でテレビでもみているのでしょう、と言っていた。どこの国も同じなのだなあ、と感じた。

 

30分ぐらい歩いて、ようやく「ワイタン」といわれるところにたどり着いたらしい。両側のビルがイルミネーションで美しく飾られていた。遠くにはテレビ搭や88階のビルもみえる。

普通の日は、この人出で埋め尽くされた道にバスが入れるから、バスから降りて夜景観賞はあっという間に終わるということである。我々は、幸か不幸かわからないが、こんなにも、人にもまれての夜景観賞となった。めったに出会えないことであるから、幸いとおもうことにしよう。

バスに戻って、ホテルに着いたのが23時40分であった。辛うじて、今日中に帰ってこられたことになる。明日も、日帰りでの蘇州観光が待っている、7時15分ホテル出発だという。ホテルは「由由大酒店」<ユーユーグランドホテル>である。大酒店は、グランドホテルということになる。酒店はホテルだそうである。よく、「飯店」というのも聞いたことがあるが、飯店はレストランだそうである。ときには、レストランとホテルが一緒になっているところも飯店といわれるそうである。有名なのは「北京飯店」である、ここは、レストランとホテルが一緒なのだそうである。

 

次の日、10月2日はホテルを定刻の7時15分に予定通り出発した。

昨夜は遅かったにもかかわらず誰も寝坊者はいなかった。さすが熟年である、朝は強いのだろうか。

 蘇州までは、約85km、1時間30分ほどで到着した。まず、拙政園という庭園である。元は財政担当の役人が賄賂によって得た金で建てた別荘だったといわれている通り、内部はそのような贅沢三昧の感じが強い。

ここで、蘇州のガイドさん、黄さん(オゥ)と合流する。中国のガイド銭さんはずっとついているから、ガイドさんは北京のときと同じでふたりである、しかしこんな時は、銭さんはまったく説明はしない。現地のガイドさんに任せている。黄さんと一緒に可愛らしい女の子がバスに乗ってきた。カメラマンだと銭さんから紹介があった。まだ、10代のようにみえる。ガイドの勉強をしているのか、銭さんの弟子だと言っていた。

 

拙政園を後にすると今度は、

東洋版ピサの斜塔といわれる「虎丘斜塔」である。遠くからもその斜塔は見ることができた。高さは48mというが丘の上にあるためかもっと高く見える。

 春秋時代呉王夫差が父、闔閭(コウリョ)を埋葬したところ、といわれている。埋葬の三日後に丘に白虎が現れ墓を守ったので、虎丘と呼ばれるようになったそうである。1.5度傾き、1000年余りの歴史をもつ中国最古のレンガ塔だそうである。

 斜塔の下までは階段の道を登らねばならない。あまり歩きたくない人は下で待つことになった、もちろん私は階段を登った。搭の内部には入れない、搭の上まで登れたらさぞ景色がよいだろうとおもえたが、搭保存のため内部への立ち入りは禁止である、残念だ。

 

 次は「寒山寺」というお寺だという。カンザンジという名前から、浜松にある「舘山寺」を思い起こす。そうしたら、舘山寺とは姉妹寺だそうである。中には日本の舘山寺から贈られたという、釣鐘が安置されていた。

 蘇州は「水の都」といわれているそうだが、川はあまり出合えなかった。寒山寺のそばに辛うじて小さな運河があり、その面目を保った感がある。

 ここで、昼食となる。蘇州麺料理ということで、本場の麺が食べられると期待がもてた。中山大迦厦というレストランであった。ここでも回転テーブルである。何処の料理も区別がつかない、春巻きや餃子、チンゲン菜の炒め物などなどで代わり映えがしない。麺が最後の方に出てきたが、日本のラーメンとは大違いで麺はソーメンのようで、スープは薄味であっさりしていて物足りない。

やはり日本人と中国人とでは食文化が違うのだとおもわざるを得ない。

 もう少し、コッテリ味を期待していたが、どこも、あっさり味である。

 

 昼食後、上海に戻って、上海市内観光である。おう、急がし、急がしである。

 

   <上海編>に続く。
旅行記へ戻る

inserted by FC2 system