アジア四都市旅行記 <シンガポール編>   H12・10・1〜3

 

 今回の旅行は二度目の海外旅行ということになる。

 前回の旅行で、やはり海外旅行はかなり体力が必要なことが分かった。

 少しでも体力のある、今のうちに海外に行っておいたほうがよさそうだという思いからだ、国内旅行はその間をぬって行ければよいという考え方に変わってきた。

 

 まず、身近なところで東南アジアにすることにした。アジアではきれいな都市として知られる、シンガポールに行ってみたいと思っていた。旅行会社をいろいろあたっているうちに、「アジア四都市周遊六日間」というツアーが目にとまった。価格も手頃なことから、このツアーに参加することにした。シンガポール、ジョホールバール・インドネシア、バンコク・タイ、香港、の四都市だ。

 

10月1日いよいよ出発の日だ。名古屋空港に午前8時集合だから、家を6時にでてくるまで浜松西ICから岡崎ICまで東名で、岡崎からは国1で名古屋の市街を経由して空港近くの有料駐車場にくるまをおき、集合場所に8時丁度に着く。

 

飛行機は10時発、香港行きでキャセイ・パシフィック航空である。約4時間の飛行で香港に着く、香港で乗り換えてシンガポールへ約3時間である。香港空港は思ったより大きな空港だった、空港内を地下鉄のような電車がゲートと待合ロビーをむすんでいた。

シンガポールには、19時30分に着いた、そのままホテルへ、全日空ホテルだった。

次の日、二日目である。朝から小雨が降っていた。日本の真夏のような蒸し暑さである、10月だというのに。一年中このような気候のようだ。

バスに乗る、ガイドさんがこの雨はすぐやみますという。シンガポールでは、雨が降っても1〜2時間でやみ、長くは降らないそうだ。ガイドさんは、メリー・フーさんといい日本語が大変上手である。なぜかというと、ご主人が日本人で日本にもよくきたそうである。予定では、まず「マーライオン公園」であったが、雨なのでガイドさんの機転で先に「植物園」に行くことになった。

すごく蒸し暑い、32℃以上あるとのこと、日本の真夏なみだ。

年中このような気温だそうだ、まったくたまらない。

「植物園」のまわりは、うっそうとした樹木に覆われているが、木の葉っぱがいやに大きい、この暑さのためだろうか。「植物園」はランの種類の花が多かった、特別これはというような花には出会えなかった。

その後、千灯寺院によったが、街中で込み入ったところに原色できらびやかな

大きな座像があった。「釈迦牟尼仏」(サカヤ・ムニ・ブッタガヤ)という、黄色を基調として赤やオレンジ色を配していて、我々日本人には東大寺の大仏などに馴染んでいるためか、どうもどぎつさが目に付いてしまう。なんとなくマンガチックにみえてしまう。高さは、15mほどだという。

 

そして、「マーライオン公園」に向かったが、ガイドさんの意に反して雨は降り止まなかった。傘を差してマーライオンの像と写真を撮った。

シンガポールといえば、マーライオンといわれるほど、マーライオンは有名だがシンガポールとマーライオンの関わりをガイドさんが説明してくれた。

シンガポールの「シンガ」とは、ライオンのことがそうだ。「ポール」は街という意味だそうである。シンガポールがまだイギリスの植民地だったころ、ここにはライオンが沢山住んでいたそうである、それでシンガポールの名が国名になったということだ。私は、このツアーではじめてそのことを知った。

 

「マーライオン公園」をバスに乗り、後にすると、皮肉にも雨はやんできた。

これから、国境を越えてマレーシア領のジョホールバールに向かうことになる。

国境の通過は比較的簡単だった。全員のパスポートをガイドさんが集め窓口に提示しただけで、通過できた。

この国境は、通勤で毎日のように通る人もいるようで、そのような人にはこの国境越え専用のパスポートがあるということだ。マレーシアのガイドさんがそのパスポートを持っているということだ。マレーシアのガイドさんはアマンダさんといって、これまた日本語が上手で冗談も面白かった。

 

ガイドさんの話で面白かったのは、ガソリンの話だ。一般的にマレーシアは物価が安いんだそうだ、勿論シンガポールに比較しての話だ。ガソリンは、シンガポールは1リットル60円、マレーシアは30円だそうだ。そうなると、マレーシアでくるま満タンにしてシンガポールに来たり、シンガポールを出るときは空にして出るほうがよいに決まっている。現にそのようなくるまが横行したので、政府は対抗手段としてシンガポールを出るくるまは、ガソリンを三分の二以上タンクに入っていなければ出国できないように、取り決めたそうである。入国はその逆だそうである。

また、食事にしてもガソリンほどではないにしろ、マレーシアのほうがかなりやすいんだそうだ。だから、外食というとわざわざマレーシアにきて食事をする家族も結構いるのだろう。

 

それでかどうかわからないが、我々の昼食はマレーシアでとることになっていた。カレー料理だった、カレーのバイキングのように何種類かのカレーがあり、

好みによりご飯にかけて食べるのだ。日本で食べるカレーよりも水っぽいというか、汁っぽかった。私も何種類か食べたが、意外とこくがあり、スパイスが効いていて美味しかった。特に、ココナッツカレーが印象に残る美味しさだった。多くのツアー客は、匂いがちょっとという声が多かったが、多分スパイスが口に合わなかったのだろうと思う。ビーフカレーはくせがなかったためか、多くのツアー客は、これを食べていた。

 

その後、ガイドさんお勧めの銀製品やシルクの店を覗いた。マレーシアは、銀が比較的たくさん産出し、品質もよいことから、銀製品がおみやげ物として多く出回っているらしい。

現地のガイドさんは、ツアー客を案内しこのようなお土産やさんに連れてくれば、売上の何パーセントのバックはあるのだろうか、店に案内することをかなり積極的に行っているような気がする。

そういえば、シンガポールのガイド、メリー・フーさんがいっていた。10年ぐらい前は、ガイドもよい仕事だった、一日2万円ぐらいにはなったそうだ。

いまでは、5千円だそうである、だからガイドさんも激減したし、バスの中でもツアー客におみやげを売ったりして、副収入を得ているのかもしれない。

メリー・フーさんは、ガイドの仕事が好きだからやっている、といっていた。

 

マレーシアでは、「アブバカール回教寺院」などを観光して再び、シンガポールへもどってきた。そして、ガイドさんお勧めのオプショナル・ツアーである、

「リンタク・ツアー」と「夜の水上ツアー」に出かけた。

「リンタク・ツアー」は面白かった。自転車にサイドカーのようなものをつけ、お客はそのサイドカーにのるのである。ツアー客全員が参加したから、ガイドさん、添乗員さんを含めて総勢34台の大行進である。

シンガポールは観光都市でもあるためか、くるまの多い道もリンタク優先である、プー、プー警笛を鳴らしながらどんどん進む。「オカマ街」といった、ちょっとあやしげな街並みを通ったが、まだ時間が早いせいかオカマさんはみかけることはできなかった。そのほか、「ドロボー市場」というところも通ったが、

みて通っただけで下車して立ち寄ることはできなかった。

「ドロボー市場」とは、昔は盗品なども売っていたのかもしれないが、今はガラクタ市場といったところだろうか。

夕食は、シンガポール川の岸辺の屋外レストランでの、寄せ鍋風のもので、エビやカニ、牛肉、野菜を好きなものをカウンターから持ってきて、自由に食べるのだが、味がいまいちという感じだった。

食事のあとは、シンガポール川の「水上クルーズ」に出かけた。20人程度が乗れる小さな船で、両岸の町の夜景を眺めながら、「マーライオン公園」までのクルーズである。夜風をうけながらの快適なクルーズだった、マーライオンはライトアップされ昼間とはまた違った趣があった。

 

そして、ホテルに戻ってくる。昨日と同じ、全日空ホテルである。

我々の部屋は、五階だった。エレベーターに乗ると、すぐ二階で止まった。何人かの普通ではなさそうな客がエレベーターに乗り込んできた。背の高い美しい人がいた、きれいな人だな、とおもってみとれていた、隣りの男性となにやら話をしていた。我々は、五階で降りた、二階から乗った彼女らは、さらに上階に行くらしい。

エレベーターから降り、部屋に入ると女房がいう、「いまのエレベーターにタレントの坂東英二が乗っていたよね」と、私はわからなかった、私は女性のほうばかりに気をとられていたので、女性と話をしていた相手が坂東英二とはまったく気がつかなかった。うかつだった、「あらー、気が付くかなかったの?」「あんなに目の前にいたのに気がつかないなんて!」と、如何にもおかしいじゃない、と言わんばかりである。「あー、そうか、そうだったのよね・・・」と、すっかり、私の気持ちは見透かされていた。

こうして、二日目も終わろうとしている。

 

次の日は、セントーサ島が一望できるマウントフェーバーに向かう。天気は上々である、しかし油断はできないんだそうだ、シンガポールの天気は今の季節でもスコールが一日に二三度はあるという。

今日は、タイのバンコクに向かう日だ。

 

  <バンコク編>に続く。

タイ・バンコク編

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