台湾の旅
2005・7・11〜15
初めての台湾旅行である。やはり、中部国際空港<セントレア>からである。
11日の初日は、移動日である。セントレアを17:15発で、台北、「中正国際空港」に到着後、バスにて
高速道を台中のホテルまで向った。ホテルには、予定よりも1時間以上も早く着いたようである。
明日から、台湾の南北を観光することになる。つまり、明日は、鹿港、日月潭から高雄に向う。静岡からの
参加者は10名であった。旅行会社は、阪急交通社で、名古屋、東京からを含めると70名位のツアー客が
同じコースを巡るようである。だが、我々は10名であるから、マイクロバスであり移動にも機動力があり、
名古屋、東京組に比べて先にさきに早めに行動できたようである。
台湾での一番の印象は、何といっても、中国を相当に意識していて、何とか独立しようとしているようだが、
中国がこれを妨害しているということである。だから、国連にも加盟できていないし、オリンピックでも中国の
一員としての参加しか認められていないということである。
今は、台湾も見事なまでの経済発展を遂げているが、台湾の経済的発展の立役者である、蒋介石元総統の
力が大きかったようである。
その現われとして、「蒋介石」を称える行動が随所にみられることである。「中正国際空港」でも、蒋介石の本名
が使われていること、「中正祈念堂」が造られていることをみても、それがうかがえる。
こんな台湾の歴史のほんの一部でも知り得たことは、今回の旅行の収穫でもあったようだ。
それでは、台北の「中正国際空港」から台中、鹿港<るーかん>「日月潭」<にちげったん>をどうぞ!
その後、高雄、台北と続きます。
2005・7・11 「中正国際空港」にて、現地ガイドの「王恵」さん。王さんには 5日間お世話になりました。 中部国際空港<セントレア>からここまでは添乗員なしで、 各自でやってきました。ここで、初めて、静岡県からの参加者 10名が一同に会しました。 同コースで、名古屋、東京からも総勢70名が観光するとか・・ |
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台中のホテル、「全国大飯店」の6階の部屋から・・ 周りの看板・広告などは漢字で書かれていて、違和感があま りない。眼科の広告だろう、近視は日本語と同じなようだ。 散光は、乱視のことだろうか。 |
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ホテルのそばには、「そごう」百貨店があった。右側の白い 建物。何といっても、台湾は日本と同じように狭い島国、住まい はマンションが多いようだ。台湾の面積は、日本の九州よりも 少し小さく、人口は2300万人だそうである。大変な人口密度で ある。 |
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ホテルの外、建物わきに咲いていた花。 サンタンカにも似ているが? 現地ガイドの王さんの話しでは、「千丹花」<せんたんか>と いうそうである。台湾のいたるところに咲いていた。 サツキに似ている木であるが、サツキよりも少し大きいか・・ |
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台中市内の「宝覚寺」 台湾名、バオチェスー 「日本人戦死者の墓」となっていて、日本人も手厚く祭られて いるようだった。 |
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「宝覚寺」の一部 戦前台湾で亡くなった日本人居留者約1万4千人の遺骨が納 められているという。 日本の奈良法隆寺から、国宝の解夢観音のひとつが祭られて いるそうである。 |
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宝覚寺の「弥勤大仏」 高さ30m、手前の人物から高さが察せられる。 鼻の下にツバメが巣を作ってしまうことで、地元の人たちには、 ”鼻くそ大仏”とも呼ばれているそうである。 この穏やかな笑顔がなんともいえない。 |
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上の「弥勤大仏」を小さくしたものだろうか? よくわからない。でも、これも笑顔がいい! |
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鹿港の街 台中からほど近い、20kmぐらいだったろうか。 左上にみえる、コンビニ「ファミリーマート」の看板。こちらでは 各所にコンビニがあるが、こちらでは、「生活便利店」となって いる。的確な名前で分りやすい。 |
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鹿港の店 店員?姉弟だろうか。 |
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鹿港、「天后宮」 | |
天后宮の拝殿 | |
日月潭 周囲24kmという、大きな湖である。水がきれい。 文武廟から・・ ここは、台湾のほぼ中央部にあり、台湾のヘソ、とも言われて いる。台中から南東へ90kmのところにある。 |
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文武廟の山門と日月潭 | |
文武廟 | |
文武廟の階段中央の飾り | |
文武廟<ぶんぶびょう>の中の孔子廟 孔子の像が祭られている。この像は、模造であって、本物は 日本埼玉・所沢の「狭山不動尊」にあるという。西武の堤氏が 購入したとか・・ |
この後、バスで、高雄に向う。高速道を230km程走る。15人乗りのマイクロバスなので乗り心地は
いまいちである。
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