イタリア旅行<ヴェネチア>
2005・1・12
ヴェネチア本島に船で渡ってのヴェネチア観光である。
この本島の交通は船と徒歩のみである。自動車は勿論、自転車も使えない。
そこで、ハプニングが起きた。
ツアーのグループを見失い迷子になったのである。他の日本のツアーの添乗員の世話になったりして
無事に約1時間後には再会できたのだが・・
ヴェネチア本島に渡るには、このような船、「ヴァポレット」 というそうだが、これで渡る。 |
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ヴァポレットの船着場、遠くに見える高い塔は、サンマルコ 広場に聳える、大鐘楼である。高さ96m、最上部には見晴 台もある、エレベーターがついている。 あの塔のあたりで迷子になった! |
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ヴァポレットの船着場の近くにある銅像 ここを過ぎたあたりで、ツアーの集団を見失ってしまった。 真っ直ぐに行って右側にサンマルコ広場があり、そちらの方 ばかり気にしていたが、左側のゴンドラ乗り場から、「ゴンドラ 遊覧」をしたという、我々ふたりはサンマルコ広場で探してい たが、みつからなかったはずである。 |
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迷子になって、1時間後再会しサンマルコ広場を観光する。 左側のレンガ色の建物が大鐘楼、右側奥がサンマルク寺院 右側手前は、ドゥカーレ宮。 鳩が沢山いた。 |
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サンマルコ寺院正面 | |
サンマルコ寺院正面の彫刻 | |
ドゥカーレ宮 ヴェネチア共和国の政治の中枢があった建物。最高指揮者 である総督の住まいとしても使われていたという。 この裏手には「ため息橋」があり、牢獄とつながっていたとい うことである。 左手にサンマルコ寺院がみえる。 |
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「ため息橋」左側が、ドゥカーレ宮 男性は、現地ガイドさんの「アントニオさん」 私は、アントニオ猪木やアントニオ古賀さんと親戚だ!などと ジョウークを飛ばして楽しませてくれた。 ため息橋の名前は、囚人たちが右側の牢獄に渡るときに橋に ある窓から外を眺めてため息をついたそうである。 森進一の「女のためいき」、とはガイドのアントニオさんの弁。 日本のことをよく知っている。 |
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自由時間を利用して、我々が迷子で乗れなかった「ゴンドラ 遊覧」を添乗員さんが交渉してくれて、我々ふたりでゴンドラ に乗り込んだ、添乗員さんは責任を感じているのか、ゴンドラ が出ていくまで見送ってくれた。 中村さん、ありがとう! |
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ゴンドラに乗ってみる、ため息橋 ゴンドラの舳先が映っています。 |
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ゴンドラの船長?さん、このようにゴンドラを櫓で操る人を 「ゴンドリェータ」というそうである。 二ヶ国語以上話せないと、ゴンドラを操る資格は得られないと いう。でも、日本語は話せなかった。 ゴンドラは外観は黒一色で統一されている。 |
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ゴンドラの船長の仲間らしい、さかんに声を掛け合っていた。 | |
こんな水路を約45分の遊覧だった。 寺院のそばを通った時、鐘の音が美しくなり響いていた。 |
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サンマルコ広場の小さな宝石店のおばさん ガイドさんのアントニオさんの紹介があったので、訊ねてみた。 小さなお店が並んでいるので、お店には番号がふってあった。 ここは、119番。 |
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ヴェネチア・ガラス工房を訪れた。 ガラス職人さんが、馬を製作するところの実演であった。 |
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2階のショップでは、ヴェネチアガラスの説明をしてくれた。 日本語が上手だった。ヴェネチアガラスはテーブルに落として も割れなかった。でも、値段も相当なものだった。 |
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ガラス商品展示棚 | |
ヴェネチアの列車、「サンタ・ルチア駅」を発ったところのよ うだ。バスの車窓から・・ |
昼食後、午後からフィレンツェにバスで向う、260km程度あるという。