壮年期 <マスセンターリングマシン>  昭和48年

ホンダで、クランクシャフトの「バランシングマシン」の設備を2台経験して、感じたことは、この工程だけではなく
クランクシャフト全体のライン設計から考えていかなければいけないということだ。
特に、鍛造素材の造り方や、機械加工の初行程である、「センターリング」のやり方である。センターリングは、
バランスのことを考えて企画しなければいけないのである。

他社においては、バランスのことを考えた設備、「マスセンターリングマシン」という、鍛造素材のバランス測定を
して、その計測値によって、センターリング位置を決めているということも分かってきた。
しかし、これら他社の「マスセンターリングマシン」は高価であり、能率の悪い設備であった。バランス測定をして、
その測定場所で、センターリング加工をおこなうものであった。バランス測定は、ワークの回転振動を計測するの
で、スプリングに支えられた台上でおこなわれる、したがって、重切削ができない。クランクシャフトの機能、後工程
の加工基準からも、大きなセンター穴が必要なのである。

そこで、重切削が可能な「マスセンターリングマシン」が必要なのである。と、機会があるごとに上司などに訴えた。
マスセンターの”Mass・マス”とは、かたまり、質量、という意味で、マスセンターは、「重心」ということである。
しかし、自分の考えは、すぐには受け入れられなかった。そうこうしているうちに、ホンダ内部で動きが出てきた。
我々を含めた、ホンダの生産技術を担当する部門を統一して、ホンダの生産技術、設備部門を一箇所に集結して
「ホンダ工機」が発足したのである。

そして、ホンダ工機は、生産技術者集団として、ホンダの生産技術の責任を負わされた。
そんなことから、「ホンダの生産技術に貢献するためには、皆さんから、技術提案をしてくれ!」と、当時の北条所長
が一般社員から提案を募った。私は、ここぞとばかりに、「マスセンターリング」の開発を提案した。何度も、なんど
も説明会を繰り返して、ようやく、提案を受け入れてもらえた。そうして、目標を高く、というアドバイスもあり、目標は
クランクシャフトの最終工程である、「バランス修正」を廃止すること、となった。

これは、えらいことである、そんなことができるのか?しかし、そんなことを考えていたら、このような開発の仕事は
できないとおもっていた。自分にプレッシャーをかける意味でも、この目標をあまんじて受け入れた。自分が提案した
仕事ができるという、喜びのようなものを感じてもいた。

たしかに、クランクシャフト工程を考えてみると、初行程と最終工程の二箇所にバランス測定をする工程があるのは
おかしい、ともいえる。「原因は、元で正せ!」というように、初行程のマスセンターリングマシンで、バランスを全てク
リアーして、最終工程が省略できたら、それは素晴らしいことである。目標は、これでいい、と意を強くした。

さて、それでどうやるか、考えたあげく、うまいことをおもいついた。色々と実験を繰り返すと、鍛造素材のバランス
測定をして、その重心にセンターリングし、そのセンターを基準にした、バランスは、そこそこよい値なのである。
それが、そのセンターを基準にして旋削加工をしていくと、バランスが崩れるのである。要するに、削られる部分、
ジャーナル、ピン部に編肉があるからである。それだったら、その編肉部分の程度を知れば、その編肉によるバラン
スの崩れを想定して、削ってもバランスが崩れない位置にセンターリングをすればいいではないかと。
そして、その計算は、コンピュータに計算させればいいだろうと。

これで、このテーマの概要が決まってきた。そして、センター加工を重旋削ができるように、バランス測定とセンター
加工は分けたのである。そこで、我々が一番確認したかったことは、「バランスという重さの単位を寸法という距離に
置き換えることが、目論見通りにできるのか」、ということであった。
一般的には、体積の重心の移動は、「バランス測定値/重量(クランクシャフトの)=重心移動量」、で求められる、とい
われていた。まず、これを実験により確認した。そして、ある係数を見出した。これで、まず、第一ステップをクリアー
したとおもった。

バランス測定機は、ワークは鍛造素材であるから、ワークをクランプする機構が必要でベアリングを含む装置となり、
ここで、ライフのバランシングマシンの経験が生きた。ベアリングに入れる潤滑用グリス量を明確にした。
センター穴あけ機は、バランスの値によって、ワーク、クランクシャフトを左右・上下に移動させる機能が必要である
が、ここは、重切削にも絶えられるように、クサビ構造として、クサビを動かすことによりワークの位置が変わるように
した。
これは、量産機を想定していた。つまり、クサビをパルスモータで動かせるようにして、バランス値をデジタル制御
できるように考えていた。

さて、編肉部の測定であるが、「差動トランス」を使った接触形であった。櫛歯のように、クランクシャフトのジャーナル、
ピン部に、一箇所あたり4本のアームを接触させて、4点で各部の形状を測定したのだ。この値から編肉量を算出して、
バランス変化量に置き換え、センター穴位置にフィードバックをかけるのである。
考え方は非常によかったのだが、現実は?であった。
こうして、クランクシャフトが加工完了したバランス値は、かなり良いレベルになった。しかし、最終工程のバランス修正
を廃止できるレベルには、僅かながら届かなかった。

このような開発状況の中で、「特評」を受けることになった。特評とは、「特別評価」のことで、研究開発されたテーマを
本田技研のトップの評価を受けるのである。この評価会は、このような開発テーマを担当するものにとっては、非常に
光栄なことなのであった。ホンダ工機という会社が、親会社というべき本田技研の評価を得るのであるから。
ホンダの量産ラインにテーマを採用してもらうには、この「特評」を通過する必要があったのである。

私個人としては、「特評」は、少し早すぎるとおもっていた。まだ、完全に目標をクリアーしていないし。しかし、急がなけ
ればならない背景があった。和光製作所のアコードと鈴鹿製作所のシビックが大増産となり、製造ラインを大改築する
計画が出ていた。この機会に、この「マスセンターリングマシン」を投入しなければ、陽の目はみられないかもしれない。
そのためには、「特評」を経て、本田技研と意思統一をはかっておかなければいけなかったのである。
こうして、特評も無事に終り、量産型「マスセンターリングマシン」を2台同時に製作することとなった。勿論、ワークの
投入から払出しまで、全自動である。

こうして、鈴鹿製作所のシビック増産ラインが先に立ち上がった。最終工程には、小規模の「バランス修正機」を設けた。
開発テーマの時は、バランス修正なしを目標としていたが、量産では万全を期さなければならず、現実的な方法をとらざ
るを得なかった。しかし、小規模修正機は、修正時間が短くライン全体的に考えるとすこぶる能率のよいラインとなった。

また、ラインの担当者も以前とは違って、バランスのことを考えながら生産に従事するようになり、意識が変わってきた。
具体的には、旋削加工が終わった時点で、ラインから定期的にワークを抜き取ってバランスの確認をおこなうようになり
、最終工程まで加工が進む前にバランスを確認して、初行程にフィードバックをかけることが定着してきた。
これは、バランスが、ラインのどこで崩れやすいか、ということがライン担当者にも浸透してきた証しであり、大変、画期的なことだとおもっている。こうして、バランスに関しては、初行程と最終工程でのフィードバックがうまくかかるようになり、
安定的、効率的なラインが確立されてきた。

いま、おもうに、私が本田技研に勤めて33年あまり、このテーマが一番本田技研に貢献できたテーマではないかとおも
っている。仕事に取り組む姿勢、意欲も、もっとも高かった時期ではなかったろうか。当時、38歳頃であった。
その後、二輪の2気筒クランクシャフト用のマスセンターリングマシンを浜松製作所に設置した。また、その後、クランクシャフトラインが新設するたびにマスセンターリングマシンは、設置されていった。最近の状況はわからないが、きっと後輩
たちが、よりよいラインを編み出していることだろう!

続く  本田宗一郎さんのことへ

inserted by FC2 system