壮年期 <バランシング・マシン>  昭和43年

ホンダは、従来から二輪車のメーカーであった。それで、4気筒のエンジンの生産は少なく、今回の「ホンダ
1300」が初の本格的な量産型4気筒エンジンの生産ということになる。「ホンダ1300」は、昭和44年5月に
発売された。
二輪車は、単気筒や2気筒エンジンが多く、ホンダでは、これらのエンジンのクランクシャフトは、組み合わ
せクランクシャフトと称して、分割した各パーツが圧入などによって構成されていた。しかし、4気筒となり生
産量も多くなると、今までの造り方ではコスト高となることから、素材を鍛造製にして、一体型のクランクシャ
フトにすることになった。

そこで、新たな設備が必要になった。「バランシング・マシン」である。
鍛造で、素材を造るということは、できるだけ削るなど機械加工をしないで、安く造る狙いがある。そこで、削
らない部分が多くなってくる、カウンターウエイトと呼ばれるところなどであるが、このような部分は素材のまま
残ることになる。鍛造素材は、寸法的にバラツキが多いため、クランクシャフトが加工完了したときにバランス
が崩れてしまう、という問題が生じてくる。

クランクシャフトは、エンジンの中で毎分数千回転で廻り続けるので、動バランスが崩れていると大きな振動源に
なってしまう。そこで、それを取り除く設備が必要になってきたのである。
そして、この「バランシング・マシン」の製作に携わることになったのである。チーフは、江波戸さんであった。
平坂さんと私が設計担当であった。

何といっても、全自動で設備を計画したのである。品物の投入から払出しまで自動化するのである、初めて設備
を設計するものにとっては、何もわからず教えてくれる人もいない。ホンダというところは、凄いところだとおもった。

バランスを測定し、そのデータをドリルの長さに換算させて、穴あけ深さをコントロールするのである。
このような設備を入社早々の私にやらせるのである、それこそ、本当!と言いたかった。でも、やるからには
仕方ない、誰もわからないのであるから、自分でやるしかなかったのである。
いま、考えると、企業としては、凄く恐ろしいことだとおもう。私らがこけたら、どうなるのであろうか?勿論、その頃
はそんなことを考えるゆとりなどあろうはずもなかったが。

そうこうしているうちに、この設備の設計のチーフであった、江波戸さんが会社を辞めることになった。そして、この
バランシング・マシンは、私がまとめることとなった。何で、とおもったが、行きがかりじょう仕方がなかったのである。
誰もやる人がいなかったからだろうか・・

一番困ったのは、バランス測定の仕組みである。バランスの良し悪しがわからないことには、どうにもならない。
しかし、そんな専門メーカーがあった、日本には2社あった、明石製作所と長浜製作所であった。2社に問い合わせ
た。明石製作所は、地震計など振動の計器を幅広く扱っていた、長浜製作所は、ドイツのシェンク社と技術提携を
していて、動バランスの専門メーカーであった。積極的に我々に協力してくれる姿勢を買って、バランス測定器は、
長浜製作所から購入することとした。それから、独学で、バランス測定の理論を勉強した。

こうして、曲がりなりにも、設備は完成し「鈴鹿製作所」に設置された。しかし、それからが大変だった。
機械が動かない、停まってしまった!といっては、鈴鹿から電話が入るのである。その度に、ここをみてくれ、こうし
てくれというのだが、電話では埒があかないことが多く、すぐに鈴鹿に出張の手続きをする。

この設備はワーク(加工する品物のことで、ここではクランクシャフト)の動きが複雑で、設備を扱う担当者も動き
を理解するのに時間がかかったということもあるのであろう。しかも、この設備には当時としては最新式のコンピュー
タが使用されていた。富士通製であった。
この設備は、クランクシャフトの左右の動バランスを測定して、その値をドリルの長さに換算して、左右、中央のド
リルユニット3基に振り分けるのである。コンピュータには、動バランスの値をドリルの長さに簡単な三角関数を使う
計算をさせ、その値を記憶させ、ドリルユニットに値を送る役割をさせていた。

この時、私は、コンピュータのコの字も知らなかった。アナログ値をデジタル変換することや、ビットという言葉を知っ
ていたくらいである。このコンピュータは、洋服ダンス以上もの大きなもので、電気制御機器を含めて、場所をとるの
で、機械の周りに櫓を組んで階段を設置して二階に制御関係を配置するようにした。設備の面積を如何に少なくす
るかということを考えてのことだった。工場スペースも製品コストに跳ね返る、といわれていたので・・

こんなことから、設備が動かなくなると、どうしても自分がわからないところに原因を求めてしまう。そんなことから、
富士通には、よく電話して、「コンピュータが悪いんではないか?」と問い合わせた、しかし、大概は「コンピュータは
正常です!」という回答だった。

ある時、本田宗一郎さんが、新聞社の方々を連れて、工場見学をするという。自動化の工場として、宗一郎さんも
自慢の工場だったらしい。それで、私は、鈴鹿に呼ばれた、「バランシング・マシン」が見学中に動かなくなったら困る
ということなのである。そのくらいよく停まった、ワーク確認用のLS(リミットスイッチ)が作動しない時がままあったの
である。これは設計が悪かったのである、スプリングを使っていたが、これが弱かったのである。それで、輪ゴムなど
を使って誤魔化したりしていた。
宗一郎さんが記者たちを連れて設備の説明をしている時には、私は設備のベットの影に隠れて、LSが動かないと
みるや、手を出してスプリングの補助をしたりしていたのである。

この設備は、見学といって、みているだけだったら面白いのである。ワークの動きがあっちこっちと動きがあるし、
バランス測定では、ワークが回転するし、修正機に移ってドリルユニットが3基動き出し、ドリル修正が終わるとワー
クは再びバランス測定器で回転して再測定をするなど、ワークの動きをみているだけでも楽しめた。
こんなことからであろうか、後日、日刊工業新聞社より、この設備の投稿依頼がきた。私は投稿するつもりで準備を
したが、途中から会社上部から待ったがかかった。この頃は、ホンダは技術的内容を外部に公表することを嫌って
いた感があったようだ。それで、個人名を出さなければよい、ということになり、記事は新聞社編集部が書いたという
ことで決着した。何とも変な話しではあったが・・  こうして、日刊工業新聞の月刊技術雑誌「機械技術」に「全自動
バランシングマシン」として紹介され記事となった。兎も角、自分が書いた記事が活字になったことが嬉しかった。

しかし、この設備には大きな欠陥があった。修正量の問題だった、このことは何年か経ってから気がついたことなの
である。本当は設備計画時点での基本的な要件が曖昧だったのであるが、当時は、そんなことは考えもしなかった
のである。この設備は、クランクシャフトが加工完成した最終工程に設置されていた。動バランスの確認であるから
当然のことなのではあるが。ここで、修正量が最大どのくらいのものが流れてくっるかの把握がされていなかったの
だ。修正は、第一修正、第二修正と二回行うことができた。修正量が少ないワークは一回の修正で、バランスは許
容値に入りOKとなるのである。修正量が多いものは、二回修正されるのであるが、二回修正しても許容値に入らな
いものが続出した。修正量が多く、二回修正のワークが多くなると当然、設備のサイクルタイムも長くなって、生産量
にも影響してくる。それで、大騒動になったのだ。

このことは、クランクシャフト生産の技術の欠如にあったのだ。経験がなかったから致し方ないが、鍛造メーカーから
の受け入れ方とその後、社内で加工されていくことによって、どのようにクランクシャフトのバランスが変わっていくか
などの調査が不十分だったことに起因していた。このことに気づくのに数年をようした。このようなことから、自分が
設計部門の人間でありながら、クランクシャフトの初行程のあり方から考えるようになった。

クランクシャフトのバランスは、初行程のセンターリングで決まる、ことに気がついたのだ。クランクシャフト鍛造素材
ができて、最初の行程は、両端に加工するセンター穴あけである。このセンター穴を基準にして、各々の旋削加工な
どがおこなわれる。「ホンダ1300」のクランクシャフトは、鍛造メーカーにセンターリング加工をして、ホンダに納入さ
れていたのだ。このセンター穴あけの良し悪しでバランスが決まるのである。これは、協力メーカー、鍛造メーカーに
任せておくべきではないとおもった。ホンダで管理すべきだと!

続く  ライフのバランシングマシンへ

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