<少年期U−1> 中学入学

こうして昭和24年3月に志村第五小学校を卒業し、志村第三中学校に入学した。中学は、蓮根の家から東北の方面に徒歩15分ぐらいのところにあった。志村第三中学校は、開校して4年目のまだ新しい学校だった。第五小学校からは、およそ3分の1ていどの生徒が第三中学に入学したので、まったく新しい学校にきたような気はしなかった。

 学校の北側には、渡辺製菓という菓子工場があった。キャラメルなどの菓子類を製造していたので、風向きによっては授業中にミルクの香りというのか、よい香りがただよっていた。

渡辺製菓といえば、その後、「即席しるこ」のパイオニアとして一世を風靡したものである。とくに、林家三平の「お餅がはいってべたべたと・・・・うまくてどうもすいません!!」というコマーシャルが有名になった。

 

 この頃からか、私は反抗期だったのか、よく親に反発した。

 ある時、原因はさだかではないが、父にひどくしかられ、頬にピンタをくらわせられた。父のピンタは軍隊仕立てのためか、強力で威力のあるものだった。しかし、私は、ここで反抗心をむきだしにして、「そんなに、オレのことが殴りたかったら、いくらでも殴ればいいだろう」といって、父の前に突き進んだ。

 父は、激昂し前にもまして強力なビンタが私の左頬に飛んだ。私は、台所の床に吹っ飛んだ。こんどのビンタは、父も本気で殴ったようだ、私の左頬は紫色に腫れ上がっていた。

 祖母が、「たけし、お前が悪いんだ。おとうさんに謝りなさい」といって、間に入ってくれたが、私は悪いことをしたとは思っていなかったので、その時は謝らなかった。

 次の日、学校に行って、言い訳をするのに大変だった。「そのホッペタ、どうしたんだ」と、みなから言われた。私は、どうしてか、父に殴られたとはいえなかった。

「夜中に、便所に行く時、真っ暗だったので、柱にぶっつけた」と、言い訳をいった。友達たちは、ちょっとけげんな顔をしていたが、深くは追求しなかった。

 

  <少年期U―2>に続く

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