<青年期T−3> 初恋

 コパルに勤めだして少ししてから、青木注射針のお人形のようなお姉さんの須賀さんが気になっていた。何とか話しがしたいと思っていた。ある日の学校が休みのとき、ある決断をした。それは、青木注射針の退社時間は5時とわかっていたから、その時間のちょっと後に通用門にいればあえるはずである。そう思って通用門のそばで待っていた、知っている人もいるから物陰に隠れてである。

少し待つと、ほぼ時間通りに須賀さんは現れた。すかさず偶然出会ったように挨拶をする予定だった。しかし、タイミングを逸したようだ、声が掛けられなかった。仕方なく須賀さんの後を追った、須賀さんは足早やだった。志村坂上の方にどんどん歩いて行く。私も必死でついていく、小雨が降ったりやんだりしていた。

中仙道、国道17号線を越えさらにどんどん進んで行く、何処行くのだろうと思ったが、それよりも話しをするきっかけを探していた。しかし、どうしてもきっかけがつかめない、須賀さんが振り向きそうになると傘で自分の姿を隠す始末である。

今でいうストーカー行為なのだろうか、きっかけをつかめず、とうとう赤羽の町に入ってきた、志村からはおよそ3km,40分ぐらいは歩いただろうか、ついに言葉はかけられず須賀さんは教会風の建物のなかに消えていった。私は寂しい思いを打ち消すかのようにコッペパンを買って、それをかじりながらくる時とは別の道を再び歩いて戻った。

それ以来、須賀さんとは二度と顔を合わせることはなかった。

 

高校では、気に入っていた女生徒は、帯屋寿子さんだった。しかし、なかなか話しをゆっくりするきっかけがなかった。彼女には、演劇部で知り合った。思いが一方通行であることはなんとなく分かった。でも、話しはしたいと思っていた。そこで、私は彼女に提案した「いろいろ演劇のことで、意見を交換したいが学校では時間がとれないので、文通で意見交換しませんか」と。彼女は快く賛成してくれた。

そうして、彼女との文通がはじまった。文通の内容は覚えていないが、私のことだから演劇に関する堅い内容だったことだろうと想像される。

ある時、本当に偶然、彼女と志村坂上のパン屋で出くわした。丸福というパン屋だった。

昼食時で、彼女も昼食用のパンを買いに来ていたのだろう。店先だったが、私は挨拶ができなかった、目をそらしてしまった。折角のチャンスを逸したことになる、文通だけではなく話しをするきっかけにはなるはずなのに。彼女は私の勤め先であるコパルの隣にある会社のユニオン光学という会社に勤めていることをその後知った。

それからしばらくして、彼女が言っていた。「この間、坂上のパン屋さんであいましたよね」

と、私は「えー、そうでしたか?」と、とぼけるしかなかった。

その後、学校を卒業してからその彼女は、演劇部の先輩の松本さんと結婚したと、風の便りで知った。

 

高校三年の時だったろうか、コパルの通勤途上で胸の膨らみが気になる素敵な女性が私の気を引いた。いつも、女性と二人ずれの時が多かった、連れの女性も素敵にみえたが、私の好みはもうひとりの人だった。同じ会社であることは分かった、会社でも見かけた。プレス課の庶務担当だった。名前は、胸に付けているバッチで分かった、バッチには「崎田」とあった。勿論、彼女は私のことなど知る由もない。

私は何とか彼女に近づきたいと思っていた。しかし、挨拶もしたことがない、どうやったら近づけるか、どうやったら自分の存在を知ってもらえるか、ひいては好意をもっていることをどうやったら知ってもらえるか、それを考えた。

そして、ある結論を得た。それはラブレターを出すことだった。そのころ私はラブレターなど書いたことがない。そうは言っても住所も知らない、苗字は分かっていても名前が分からない、さあーどうしよう。

 

私は考えた。そうだ会社宛に出そう、会社の所属も分かっている、あとは名前を知ればよい。という結論に達した。さあー、名前はどうして知ろう。そうだタイムカードだ、タイムカードにはフルネームが書いてある。タイムカードは各所属毎にまとまっているから、プレス課のところを見ればよい。ここまではよかった、さあー、いつ見るか?普通の時間では人がいっぱいいて、そんなところで自分とは関係ない所属のタイムカードを覗いていては、それはいかにもまずい。

そこで私は、朝早く出社して誰もいないところで、その確認作業をしようと。これは名案と自画自賛。人間やる気になると結構いい知恵が出てくるものである、と妙に感心する。

彼女のフルネームは「崎田悦江」ということが分かった。

 

あとは書くだけ。内容を詳しくは覚えていないが、夜学生で同じ会社に勤めていること、家庭でも安らぎがないことなど、どうも自分の現在の状況を同情してもらいたいような内容だったような気がする。

自分の存在が分からなくては意味がないので、写真を同封して出した。

そして、返事を待つ。何日たっても返事はこない、やっぱりダメだった。

それでも、いままで通り通勤の途上では出会うことがある、しかし私はいままでと同じで挨拶もできない。彼女はというと、なんとなく意識しているように見える、少し頭を下げるように見えるが私の見間違いか、とにかく彼女からは何の連絡もないのだ。

こうして、何ヶ月かが過ぎた、そして正月を迎えた。私にも少ないが何通かの年賀状が届いた。

その中に「崎田悦江」の名前を見出した。私はまったく期待もしていなかったから、びっくりした、びっくりよりも天にも昇る気持ちになった。彼女の住所も書いてある、少しは気に留めていてくれたのだ、と思えた。これで、今度は彼女の家に手紙を出せる、と早速手紙を出したと思う。彼女は、練馬区豊玉北に住んでいた。

 

その後手紙のやりとりがはじまった。彼女は年上であることは分かっていたが、二つ年上であった。高校を卒業してコパルに入社したということである。私はどうも年上の人を好きになるようだ、おねえさんに憧れをもっていたのかもしれない。

こうして段々と逢ってくれるようになってきた、連絡は社内電話を使ったこともあった。

逢うといっても、会社の帰りに一緒に帰ろうとか、せいぜい池袋の喫茶店でお茶を飲んで話しをする程度であった、彼女にしても弟みたいなつもりでいたのだろう。

こうして、一年ぐらいはこんな付き合いが続いたのだった。しかし、ある時彼女が社内を退職の挨拶まわりをしていた、私はびっくりした、彼女からは何も聞いていなかった。

 

「それもそうだよな、俺たちはそんな付き合いではないのだから、わざわざ俺に知らせる必要はないよな、」と自分をムリに納得させていた。

その後の彼女からの手紙で、池袋の「丸物」というデパートの店員になるために退社したことが分かった。西武デパートの隣にあり、いまはパルコになっている。

それからも、何度か喫茶店で会ってもらったが、段々と音沙汰がなくなっていった。

その後、私も結婚してから、彼女が埼玉の寄居町に姓を「赤坂」と変えて結婚したことを知った。この彼女とは、いまでも年賀状の交換と、極たまにではあるが電話のやり取りをしている。

海外旅行やゴルフを趣味としていること、子供は男三人であること、昨年(H11年)初孫ができたこと、などを話し合った。

 

    <青年期T―4>に続く

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