初恋の人探し
2009・2・19
若いころ、私は女性との付き合いが奥手だった。中学校の頃から、いいな〜とおもう女子が学校内
にいたことをおもいだす。単なる憧れのようなものだったようだ。
名前で覚えているのは、清水、村瀬、愛甲などであった。

そして、ラブレターらしきものを出したのは、高校になってから勤め先の女性であった。
そのことは、「初恋」 ここにて述べているのでみていただきたい!
これは、その後のことである。

私が、58歳頃になったときだった!その女性、崎田さんといった。
新聞の広告で、人探しの探偵業があり、昔の知人や恋人を探してくれると出ていた。
そこで、電話をして聞いてみた。相談だけなら無料だという、それで担当者と自宅近くの喫茶店で会
うことになった。女性の担当者だった。
旧姓やいま住んでいるところ、新しい苗字を知らせると、そこまでわかっていれば探すことはそんな
に難しくないということだった。ただ、実際に探すとなると現地に出向き調べるので、探偵の日当、交通
費、調査費など安く見積もっても数十万円はかかるという。

この担当者の話によると、このような初恋の人探しというような依頼は、昨今多いのだという。
そして、内容的には担当者個人として、初恋の人探しというテーマはお受けしたい業務内容だが、費用
もかかりすぎるし、電話帳などを利用してご自分で探されたらどうでしょうか?ということを言ってくれた。
私も、数十万円を出すつもりもなかったので、探偵には依頼しないことにして、喫茶店代を支払って、
お礼を言って、その探偵の女性と別れた。

そして、私は考えた。崎田さんは、埼玉県寄居町に赤坂と姓を替えて住んでいることはわかっていたの
で電話帳で調べてみた。そうすると、寄居町には赤坂姓が非常に多いのである、電話帳の数ページ
にわたっている、これではダメだ、探しようがないと諦めた。
そして、考え付いたのが、元の住所である、番地は覚えていなかったが、練馬区豊玉北ということは
覚えていた。そこで、NTT・114番で聞いてみた。まだ、親でも住んでいるのではないかとおもったので
ある。

するとラッキーなことに、豊玉北には、崎田姓の家は一軒だけだという。それで、その番号を聞いて、
早速電話をかけてみた。

電話に出たのは、崎田さんの弟さんだった。事情を話した、40年くらい前にコパルという会社で一緒で
私は、初恋の人とおもっていた、というようなことをありのまま話をしたのである。
すると、弟さんは快く、住所、電話番号を教えてくれた。それに、今まで、ここに来ていて還暦のお祝いを
していて、先ほど帰っていったところです、ということだった。それに、是非、電話してやってください、喜ぶ
とおもいます、ということだった。

続く

そして、電話してみた。本人がでた、「40年以上前のことで、東京・板橋のコパルで一緒だった佐々木と
いいます!」というと、ちょっと間を置いてわかったようで、びっくりした感じであった。
でも、子供が男の子三人で、それぞれ独立していること、こちらも、その後大学に入学しそして卒業して、今
は五人の子供がいることなどを話した。

その後は、年賀状のやりとりとたまにの電話での話だった。ゴルフが趣味で、たまにコースに出るようだった。
先日は、息子と愛知万博<H17・3月>に行ってきたなどの話も出て、私も近じか行くことを告げ、万博の
ことで話が盛り上がった。その後、私の方から会いませんか、という話を切り出して、会うことになった。
池袋で会うのもいいかなとおもった、彼女は寄居町だから、東武東上線一本でこられる、私も子供たちのいる
所沢から一本で行ける。でも、池袋に行ってもどこへ行くかである。
それで、私は考えた、川越はどうだろうかと、川越なら自分自身ある程度知っているところもある。
彼女も、川越なら池袋に行くよりも時間が短くてすむ、それでそのような提案をすると、彼女は快くそうしてく
れた。

そうして、昼間の11時半ごろ、川越市駅で待ち合わせた。彼女は、駅の改札の前で先に待っていた。
2005年4月22日のことだった、約48年ぶりである。お互いに当時とは変わっているのは、仕方のないこと
だった。彼女は少し小さくなった感じがした、多分靴のせいもあるのだろう、当時はヒールの高い靴を履いて
いたし、今日は低い靴である。それに昔のようにふっくらした感じはなかった。

お互いに久しぶりの再会の挨拶をして、川越市内に向けて歩きだした。正午近くになって、私は会社勤めの時
に利用したことのある、「福登美」<ふくとみ>という料理屋の店先で彼女に料理内容と値段を確認してもらって
ここでいいかを尋ねた。ここでいいです、という返事だったので、ここにした。「旬の食材御膳」とかだった。

私は、焼酎のお湯割り、彼女はレモンサワーだっただろうか、兎に角アルコールを一杯飲んだ、私は2杯飲んだ。
その席で、私はカメラを持ってきていたので、写真を撮らせてもらおうと頼んだが、彼女はこんなところでは、嫌
だと断られた。こんなところというところではないとおもえ、ちょっとショックだった。

そして、昼食を終えて、川越の街を散策し、喜多院に向かいお参りをして、その後再び川越市に向かい別れる
ことにした。二度と会うことはないだろうとおもえた。
彼女は、ご主人に私のことを話し、了解を得たうえで来てくれたようであった。私は、妻には何も言わずにきている。
私が、ずるいのであろうか?私は、妻への思いやりだとおもっているが・・

兎に角、私は自分自身には満足している。相手はどうおもったかさだかではない。ひとつの思い出ができたと
おもっている。

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