高貴神社祭典のこと

  (タカキ・ジンジャ)   平成12年10月16日 氏子総代 佐々木 武

年に一度の祭典が10月14日と15日の二日間とりおこなわれた。

私は氏子総代となって、二年目だが祭典の参加は今回はじめてである。というのも昨年は六ヶ月前から北海道旅行を計画していて、中止するわけにもいかず祭典の参加ができないことから、会長などの了解をとったいきさつがあった。そんなことから、今年は是非とも参加すべく自分の計画を祭典優先でたてた。

氏子総代は町内の各地区から選任され、総勢20名である。

 

祭りの一週間前に、舞台造りやテント張りなどの準備をした。鉄骨をボルトで組み上げる立派なものだ。祭りはなんといっても天候に左右される、14日は宵祭りで夕方からがメインである。午後1時から「福引抽選会」がスタートし祭りの開催となる、まずは静かな幕開けである。祭りの一ヶ月前ぐらいから町内住民、商店、企業から寄付金を募る、寄付を協力いただいたところに「抽選券」が配られ、この「福引抽選会」に参加できるということになっている。

 

抽選は六角形の箱を廻し、穴から出てきた玉の色で一等から三等の景品が手渡されることとなる、ごく一般的な方法である。一等は洗濯用の洗剤、二等は台所用の洗剤、三等はチョコビスケットとあまり金額的に差をつけていない、比較的平等にという配慮かららしい。

これはよいことだと感じた、外れはないのだ。子供たちは三等がよいといい、おかあさんたちは一等がよいといっていた。

 

私の担当は、自転車置き場の整理役ということだった、神社の周辺は狭い道路であって自転車は神社の入り口の狭い道に、縦一列に並べるようについ立てをたてた。最初の自転車が肝心で最初の2、3台がキチンと止めれば、あとは右に習えでうまく並べてくれた。

だから、それだけだったら労をようさない。そこで私は考えた、せっかく神社の入り口にいるのだ、神社にきてくださるお客さんに声をかけ、案内人の役もやろうと。そして、くる人に「こんにちは、抽選会場は右手の方向にあります、是非一等を当ててください」と声をかけるようにした。

 

そうしたらけっこう反応があった、問い合わせの声がかかるのだ、「おにいさん、演歌歌手の歌は何時からやるの?」とか「おじちゃん、金魚すくいはいつから、どこでやんの」と聞く子供や多くの老若男女と言葉を交わすことができ、自分までが楽しい気分を味わうことができた。おにいさんとも呼ばれた、少々面映かった。

「おにいさん、おかげで三等賞が当たったよ!」とよろこんで声をかけてくれる、熟女?もいた。しかし、三等までしかないことに気が付いていないらしい、三等以降はないのだ、ようは、三等は外れなのである。あえて三等としたところに企画者の意図が感じられるが、本当に意図していたのだろうか?、疑っては大変失礼であるが。

 

午後2時から「金魚すくい」や「鬼泣かせ」がはじまり子供たちが大勢集まってきた。

「鬼泣かせ」とは鬼の絵をベニヤ板に描きそのお腹の部分にスイッチが埋め込んであってボールをなげてこのスイッチに当たると鬼が泣くという仕組みである。それにより景品がもらえるのだ、一回ボール5個で50円だ。金魚すくいも50円、すくえず紙が破れても3匹はもらえるということだ。

その他露天商がささやかだが7店ほど出ていて、子供たちや、おじいさん、おばあさんに

綿菓子やタイヤキをねだっている幼児の姿もほほえましく見えた。

 

子供たちの時間もすぎ、6時を廻るといよいよ本日のメインイベントの準備にかかる。

キングレコードの専属歌手「喜多見ゆり」を呼んでいるからだ。名前は聞いたこともない、

浜松出身の歌手だそうだ。

神社の入り口でイスに腰掛けていると、和服姿の普通の人ではないいでたちの40歳代と

おぼしき女性が私に尋ねた、「演芸の担当の方はどこでしょう?」と私はとっさに、この人が今日よんでいる演歌歌手かと思い、「少しここでお待ちください、担当の者を呼んできますから」といって、演芸担当の加藤さんを捜した。加藤さんはすぐにみつかり、演歌歌手と思われる人のところに連れて行き引き合わせた。やはり演歌歌手の「喜多見ゆり」さんだった。

 

このように、自転車整理係も考えようによっては、受付け役にも案内役にもなることができることをしった。そうこうしていると、今度は初老に紳士風の人が訪ねてきた。「キタミ先生いらっしゃいますか?」というのである。一瞬キタミ先生というから、市会議員の方もみえているはずだし、代議士の誰かを捜しているのかと思ったが、その初老の方は「私は、こうゆうものだが、カラオケ教室を開いていて、先生を変えたいとおもっているのだが、キタミ先生と交渉したい。」と言い出した。それでようやく私も「喜多見ゆり」さんのことだと気がつき、「そうゆうことですか、それなら喜多見さんも商売の話しなら、よろこばれるのではないですか」といって、神社内の公会堂に案内した。

ところが、公会堂にはいず、神社拝殿のなかだといわれ、拝殿に初老の方を案内し、喜多見さんに会わせることができた。喜多見さんもよろこんでいた様子なので、なんとなく一安心という感じだった。

 

こうして、午後6時45分定刻に演芸ショーが開催された。司会は演芸担当の加藤さんだ。

まず、氏子総代の山口会長の挨拶であった。氏子を代表して、寄付金の協力などにたいし丁重なるお礼の言葉と日ごろの感謝の気持ちを繰り返し述べられていた。

だいぶ、お酒が入っているのか少々ロレツが怪しい。

そして、「喜多見ゆり演歌ショー」がはじまった。6曲歌うことになっている。

最初は、「函館の女」だった、つづいて自分のオリジナル曲の「華情話」という曲をはじめて聴いた。舞台のせいだろうか、少々声量が足りないように思ったが、どうだろうか?、音響効果もいまいちだった、声が割れていた。屋外のステージだ、完璧を求めるほうが酷というものだろうが。引き続き「孫」「ひばりメドレー」、浜松の凧まつりがテーマなのだろう、オリジナル曲の「あばれ凧」と続き、最後に「好きになった人」で締めくくった。

喜多見さんは歌が終わると、神社の境内を通り拝殿に引き上げていった、途中何人かの人たちが握手を求めていた、私も握手してもらった。神社の入り口から案内したのを覚えていてくれたのだろうか、「先ほどは、ありがとうございました」と丁重に頭を下げられた、わるい気はしなかった。

 

その後は、町内の有志による歌謡舞踊がくりひろげられた。「さざんかの宿」「大阪しぐれ」など、年配者にはおなじみの曲にあわせて、舞をみせてくれた。

7時45分を過ぎると、アマチュアバンドの「楽団サンドキックス」の演奏だ。私にはよくわからなかったが、懐かしいメロデイーガながれていた。

最後は、やはり歌謡舞踊が続き、全員で「もみじばやし」を踊り、フィナーレとなった。

午後9時、無事「宵祭り」は終了した。なにか、とても疲れたと感じた。私の初体験の宵祭りが終わったのだ。

明日は、いよいよ本祭り、お天気が心配だ。氏子総代は午前9時集合だ。

 

本祭りの日、天気はなんとかもっているという状態だ。9時と同時に「抽選会場」を訪れる人々がいる、結構「福引抽選」を楽しみに来られる人が多いのだと、改めて認識した。

「金魚すくい」は早朝に担当者が新しい金魚を町の金魚屋から仕入れてきた。元気のよい金魚だ、昨日に引き続き子供たちの人気を集めていた。

露天商もにぎわっていたが、綿菓子が1袋500円と聞いてびっくりした。私は、せいぜい200円か高くとも300円だと思っていた。それでも結構売れている、親が子供に買ってあげているようだ。子供には買えない値段だ、一番子供が集まっているのが、水あめ屋だ、100円と値段が手ごろなことと、ちょっとしたゲームがあって、うまくいけばもうひとつ貰えるなどが魅力なのだろう。

タイヤキも人気だ、1個100円だから、1個買っておやつがわりに食べたりしている、子供や大人もいた。焼とうもろこしが最も不人気だったろうか?

 

12時になると、子供みこしが町内を練り歩くことになっている。雨の場合は中止ということだが、11時現在雨ではないので、やることになった。

ところが、11時をちょっと廻ったころから、雨がぽつぽつときだした。

12時には、雨は結構降っていたが、子供たちは東、西、南、北、各々四つにわかれて、みこしをかついで出て行った。この町内は浜松でもかなり大きな町なので、自治会の運営も四つのブロックにわけている。神社の運営もそれにならって、四つにわけている。

私は、東ブロックに属している。

 

3時からは、宮司がきて祝詞をあげ、お払いしてくれる。そのあと神官たちが雅楽というのだろうか、しごく厳かな演奏に合わせて、お稚児さんの舞がまたすばらしかった。

すばらしいというよりも美しくもあり、かわいくもあった、お稚児さんは小学生ぐらいの少女たちが、真っ白な装束と赤いはかまで頭にはきれいな髪飾りをつけての舞であった。

何枚か写真を撮らせてもらった。

 

宮司の祝詞やお稚児さんの舞も終わり、最後は4時30分からはじまる「投げ餅」だ。この「投げ餅」はこちら浜松、遠州地方の風習なのだろうか、関東で育った私には変わった光景にみえる。

投げ手と拾い手がいるのである、投げ手は高い場所から低い位置にいる拾い手に向かって餅を投げるのだ。どうしても、私にはいい光景にみえない。

建物を建てるときもそうだ、「棟上式」のときにはかならずといっていいほど、こんな光景をめにする。風習とおもうしかないが。

 

雨が、引き続き降っている。「投げ餅」はどなるのだろうか、ちょっと心配になる。

事前に配布された案内書によると、雨天のときは、餅はなげずに定量を平等に配る、ということになっている。また、時間も30分早まって、4時から配布するということになっている。

それでだろう、自称受付け案内係の私のところにも問い合わせが相次ぐ。それで会長のところに確認をとった、「案内書の通り、餅は4時から定量配布ですね?」と聞くと、「そうだ!」という答えがかえってきた。至極当然だ、という風だった。私も案内書に書いてあるのだから当然のことだ、馬鹿な質問をしてしまったなと後悔した。

 

だから、私は聞かれるたびに「今日は雨ですから、お餅は4時から定量配布です」と言い続けた。

ところがである、4時が近づいているにもかかわらず、定量配布の準備を誰もやろうとしない。それどころか、「投げ餅」をやる準備を進めている。どうなっているのだろうと、準備を進めている人に聞くと、「投げ餅」に変わるかもしれないからだという。

いったいどうなっているのだろう?、まったく分からない。

 

「定量配布の準備をしなければ、時間がないですよ!」と呼びかけたが、誰も相手にしてくれなかった。駆け出しの私が、いくら叫んでも相手にされないのはいいが、町内に配った案内書と矛盾したことをやっていたのでは、氏子総代の信用が丸つぶれになるはずだ。

結局は、会長の一存だろう、「投げ餅」をやることとなり、会長がマイクでお客さんに向かって「投げ餅を4時45分からやります。雨が降っていますが、危ないので傘はたたんで置いておいてください」というものだった。

案内書のルール違反だと思ったが、なにもいえなかった。

 

そう決まったら、「投げ餅」をうまくやらなければならない。私は、拝殿の欄干の板に間に餅を運ぶのを手伝った。そして氏子総代は投げ役となった。

欄干から下を見下ろすと、お客さんの拾い手が「わたしのほうに投げて」とか「おい、遠くにも投げろよ」などと声が掛かった。ちょっとした優越感みたいなものを感じられた。

しかし、4時45分にはまだ15分もある、準備は万端そろっている。

その時である、会長がマイクで叫んだ「投げ餅は、35分からにします、もう少し待ってください」というものだった。あれ、いいのかな、さっき45分といったよな。またルール違反だ、でもなにも言えない。

 

そして、10分早めの4時35分に「投げ餅」はいっせいにはじまった。

お客さんの拾い手はみな中腰になって必死に餅を拾う、われわれはその上に餅を投げる。

頭や、腰に餅がぶつかる、痛くはないだろうが、大丈夫かなと少し投げるのを止めてみる、すると、黄色い声が飛んでくる「おじちゃん、こっちに投げて」と小学生ぐらいの女の子だ、そちらのほうに餅を投げてあげる。

10分もしないで、「投げ餅」は終了した。

これですべて終わったと思った。お客さんが引き上げて行く、あっという間に静かになった。

それからである、ちょっとした騒動が持ち上がった。何人かの女性たちが、45分ちょっと前に神社にきたのだという。勿論「投げ餅」に参加するためだった。ところが「投げ餅」は終わった後であった、その女性たちは曰く「私たちは、投げ餅が4時45分からだと確認したから、家が近いのでいったん帰って出直してきたのです、そうしたらもう終わっているとは、どうゆうことですか!」と詰め寄られた氏子総代がいた、気の毒になんの弁解もできなかったと言っていた。

 

ちょっと、後味の悪さが残る終わり方だったと言わざるを得ない。

来年は、より地域住民の期待にこたえられるように万全を期して、準備にあたりたいとつくづく思う。

                            おわり

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