妻籠・馬籠、日帰りドライブ
2005・11・24
紅葉には遅いとおもわれるが、妻籠・馬籠を訪れることにした。
昨年夏、御嶽山を訪れる時のコースである、一般道で行くことにした。
つまり、浜松から愛知県鳳来寺〜新野峠〜下條村〜昼神温泉〜清内路峠〜妻籠、である。
約170km、3時間20分の行程である。丁度、朝6時に出発した。
妻籠は、昨年も行っているので、通算6回目だろうか。初回は、35年も前のことで会社の仲間たちとで
あった。
今回は馬籠の「藤村記念館」を観賞することが、目的だった。それと、信州蕎麦が食べたかったからで
ある。紅葉は、やはり遅かったようだ、浜松が一番きれいだった。帰りも同じ道を帰ってきたが、途中、
下條村の「そばの城」によった、野菜を買っただけだが・・
妻籠宿の街並み 朝、9時30分頃なので、客も閑散としている。 昨日、11月23日は、「文化文政風俗絵巻の行列」が開催されて、 武士や駕籠かき、虚無僧、鳥追女、花嫁行列などが、この街道を 江戸時代を再現して往来したという。 |
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妻籠街並み外れの水車小屋 | |
10時のお茶をした、「満寿庵」 お茶とそば饅頭を食べた。350円也 |
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「わちのや」という、「おやき」を売る店 歩きながら、おいしそうにおやきを食べている人がいて、おい しそうなので、入ってみた。 やさい、野沢菜、あんこ、などがあったが、やさいを食べて みた。久し振りに、うまいおやきを食べた、という感じ。 今までも、軽井沢、長野善光寺などで食べたが、みな油で焼い ているのか、油っぽくて好きでなかった。 |
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南木曽町博物館の入口 脇本陣奥谷<わきほんじんおくや>と歴史資料館が併設され ていた。 |
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脇本陣の説明をしてくれた女性 今でも、毎日、こうやって薪をいぶして建物を保護していると いう。防虫、防腐の効果があるという。柱などは、すすで真っ黒に なっているが、手の届くところは、赤黒く光っていた。毎日、磨いて いるという。 脇本陣の屋号を「奥谷」といって、代々林氏が勤めてきたという。 明治10年、総檜造りに立て替えられたのが現在の建物。 平成13年に国の重要文化財に指定されたという。 脇本陣は、大名の宿泊が重なった時などに分散して宿泊するそう である。 |
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窓から差し込む太陽の光がいい 光の当たっている、柱、板は赤黒く光っているのがみえる。 |
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囲炉裏 左側が上がりかまち、ここ林家の主人は、囲炉裏の右側に座る。 囲炉裏の中、右側に木片がみえる、ここに主人があぐらをかいて 足をその木片に乗せて、足を暖めたという。主人の正面には風除け の屏風があり、風をさえぎり、主人が煙に当たらないような配慮だ そうである。 私も座ってみたが、とても具合がよかった。この家のしきたりでは 主人の左隣に跡取の長男が座り、主人の右の囲炉裏(この画像 では、正面)主人側に妻が座り、その隣に嫁が座るが、嫁の席は 板の間であったという。この画像では、それがわからないが、敷物 を上げると、板の間だった。 |
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湯殿 大名、殿が入るお風呂 |
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畳敷、2畳の「雪隠」<せっちん> 大便用のトイレである。下の受けは、引き戸式になっていて、 殿の便を観察し、病気などに気を使ったといわれている。 |
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脇本陣奥谷の庭 | |
本陣の正面 脇本陣から50mぐらい離れている。 |
馬籠
妻籠からは、車で馬籠峠を越えて約10kmである。
馬籠の街並み この下の方角に「藤村記念館」がある。 |
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藤村記念館の入口 | |
藤村記念館の中にある、「藤村の生家」 老朽化が激しいため、近いうちに建替え工事が行われるそうである。 |
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記念館の庭 | |
馬籠、街並みの中でも大きな店、「大黒屋」 | |
馬籠、街並み上部の外れにある、蕎麦屋「恵盛庵」<けいせいあん> で山菜蕎麦を食べたが、腰が今ひとつなく、蕎麦も短い。 私の好みではなかった。値段だけは、千円である。 ここは、信州とおもっていたが、馬籠は、岐阜県であった。だから、 蕎麦が違うのか? |
帰りは、往路とほぼ同じ道を帰ってきた。午後5時30分であった。
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