アツミテックへ
     1988・6・24〜7・30
ホンダに入社して初めて転勤の話があった。
ホンダには、昭和41年12月19日入社であった。

話は、ホンダエンジニアリング(略称EG)常務取締役の島田さんからあった。
昭和63年6月24日のことであった。突然、食堂に呼ばれた。
そんなことは、めったにないことだから、何かあるな、とは感じていた。

そうしたら、案の定、「派遣」の話であった。一般的には、出向、といわれているが、ホンダでは
ホンダに席をおいてホンダの関連会社に出向くことを「派遣」とよんでいたのである。

22年近く、同じ職場で勤務できたのであるから、50歳を過ぎて転勤は覚悟」していたから、い
よいよきたな、と感じた。派遣先は、浜名湖のそば、雄踏町にある「渥美製作所」であった。
のちに「アツミテック」と社名を変えている。条件は、主任技師として、設備設計の指導をしても
らいたいということであった。しばらくは、ホンダに籍をおいて、ホンダ本社所属ということになる
という。

私には子供が5人、まだ高校、小学校に通っている子供もいたので、迷わず「単身赴任」とした。
そして、すぐに身辺整理に入った。まず、ホンダに入社して、今までどんな仕事をしてきたかを
まとめようとおもった。それには、「私の記録」が役立った。一日、2行程度だったが、肝心なこと
を書き記していた。

そして、「ホンダに於ける私の歩み」を完成させた。A3用紙一枚にまとめた。
今まで、一緒にプロジェクトを組んで仕事をやりとげてきた、若い連中がうれしいことに、何か記念
品を送りたい、といってくれた。「布団乾燥機」などはどうですか?と、単身赴任だから布団干し
もできないだろうとおもってくれたのであろう。

私は、丁重にお断りをして、もし、記念品をというのであれば、私がまとめた「ホンダに於ける私の
歩み」を活字にしてほしいと提案した。そして、それを実行してくれた。
そして、その完成したものを一緒に仕事をやってくれた人、関係者に感謝の気持ちをこめて受け
取ってもらった。

派遣されて、2〜3年で戻ってくる人もいた。しかし、私は、戻ってきても自分には、もうホンダで仕
事はないと漠然とおもっていた。戻るのだ、とはおもってはいけない、ともおもっていたようだ。

そして、7月29日、浜松の社宅(アパートであるが)に引っ越し荷物を送った。車、バイクも一緒に
である。そして、その日の夕方、EGの関係者が「激励会」をやってくれた。送別会ではないのだ、
それがホンダらしいとおもっていた。お別れではないからである。
場所は、川越の「東武ホテル」であった。

長年所属していた、第一設計BL(ブロック)や研究BLの方々が中心で、68名の方が参加してくれ
たそうである。
あとで、幹事の人に聞いたのである。

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