会社の慰安旅行ー1
S28・5月、1953年。
中学を卒業して、はじめて就職した、「青木注射針製造」という
注射針を造る会社の慰安旅行の模様である。
この頃は、会社の行事として、春、秋に社員の慰安旅行と称して
旅行が行なわれていた。
春の旅行・箱根
箱根・大涌谷。 左端、学生服姿が佐々木。高校一年生である。 入社して二ヶ月に満たない時である。 すべての人たちが、お兄さん、お姉さん、おじさん おばさんである。 この時、強羅の温泉に入った記憶がある。混浴 だった。この中の男女、何人かが温泉に入った。 勿論、私も入った。芸者風の何人かの女性も入っ ていた、男性たちが、ひそひそ話しているのが、 聞こえた。「あれは、芸者だぞ、よくみろ!」という 声が・・・。しかし、かなしいかな、この時の私は、 純情無垢で、女性の裸体には何の関心もなかった。 いまおもえば、本当に残念なおもいである。 |
同じ職場のお兄さんとお姉さん。 注射針の真鍮製、柄の部分に1mm程度の穴を明ける作業をしていた。 卓上旋盤のような機械を使ってである。 穴を明けるための工具・キリの研ぎ方などを教えてもらった。 左側のお姉さんは、佐野さんといったかな? |
秋の旅行・熱海一泊
S28・10月
熱海温泉、大野屋旅館の隣の「宝金荘」に宿泊。
中央の年配者が専務である。社長は専務の兄であった。 その右隣りは設計に竹田さんといった。注射針の柄の部分、真鍮を削る機械のカム設計をしていた。その隣り、小さくなっているのが、佐々木である。 |
一番右が、佐々木。 左から二番目は、伊藤先輩。中学の先輩だという。 中学で、同期の「伊藤勝」の兄さんである。 |
|
宿泊した、「宝金荘」前。 この頃、旅館で出してくれるのは、こんな「どてら」であった。 いまは、「ハンテン」であるが・・・。これも時代である。 |
|
中央が、佐々木。伊豆の山が背景。 | |
「お宮の松」付近。左から、布川さん、伊藤さん。 |