母の日記帳と鏡台
2015・10・29
私の「宝物」、80年前の日記帳がみつかりました。30年ぐらい前、父から預かった亡き母の日記帳です。
父が所沢の家に持ってきてくれたので保管していました。当時は、ちょっとだけ覗いてみましたが、あまり関心がありませんでした。

今読むと昭和9年頃は父・肇と付き合いだした頃で、「佐々木さん」と呼んでいました。それが、昭和10年の日記には「肇さん」と呼ぶ
ようになっていました。より親しくなってきた様子が伺えます。日記のうしろには、出納帳があり、電車代19銭、風呂代50銭などとあり
ます。給料は6円28銭とありました。
母は五反田にある「藤倉」という会社(今もあります)に勤めていました。

 

上が昭和9年のもの、下は昭和10年のもの、「令女日記」とあります、定価は80銭と。                       


      
昭和9年・母の日記帳・表紙                                                           

                                      
  


日記帳の裏表紙にある、発行所、価格などがわかる                             
日記裏表紙近くにある「出納簿」です。  左は昭和9年3月         右は昭和10年4月
切手30銭、ハガキ9銭、足袋65銭等となっている、 針15銭、パン15銭、本15銭、あめ10銭等となっている

日記の内容の一部
 
                                                  1月2日 晴天 午後 佐々木さんと共に山下先生訪問 先に佐々木さん恩人
昭和9年1月元旦 晴 昨年の雨であらいぬぐわれた様な好天気である      平野様をそれより初めての帝都電鉄で山下先生のお宅に迎ふ 電鉄すこぶる
新な年も友病めば憂に中に迎いぬ 下の人達の好意に新年の祝いを共に    気持ち良くまるで田舎に帰へった様な感じである 山下先生留守で二人で
して頂く  くれ行く夕べの明治神宮を佐々木さんと共に詣でぬ           お待ちする事にして活動に這入った 中々面白い お宅訪問したのは十時半
心静かに病の友に幸多かれ、満州の野にある弟と朝鮮に行った山本さん    づいぶん失礼だと思ったが止むを得なかった 初對面であったが御二方とも
の武運を祈る  と読めます!                               非常に好感が持てた 四谷に帰宅 一時
                                                 1月3日 晴天 たかをさんの容態はかばかしくいかぬ 午後とり散らして居る所
                                                 に山下先生御夫婦の来訪

  
                                                   1月6日 晴天 上野駅に佐々木さんと二人ではるばる盛岡より上京するやよひ
1月4日 晴天 今年こそ実行。精神修養。いまの状態はどうあっても自分の    さんを迎ひに出むく 色白い山本さんにどこかにたきれいな少女であった
良心を苦しめるだけである まち行きて美しく着飾った人、美しく結った髪を見   山本先生より内意で上京との話であるが病人の心をやすめる為のおよびになった
てほのかにわき出ず羨望の心、心のいづこかに残る美へのあこがれ こんな   のだろーと思った 佐々木さんやよひさんをつれて新宿に行く 温子三平さんに
心でどうしよう? すべては捨てた筈であるのに 去年の決心を忘れるな     年始 色々と御馳走になり、たいや菓子を頂いて帰宅する
恋さへきれいに捨てた温子ではなかったか。捨ててしまいきれーいに        1月7日 晴天 中西さんに夜年始に行く 小母さんも以前と少し変わってグチを
1月5日 晴天 たかをさん少し神経をやんで居るらしい 山本さんに手紙書く   云って居た みかん食べたり としさんの土産のせんべいなど頂いて十時帰宅する
たかをさんの容態を書いて。夕方やよひさん上京の由を報じて電報あり       夜久し振りで風呂に行き佐々木さんに算術を習ふ 就床は十二時半であった
                                               

「母の日記」昭和9年からのもの ここをクリック

80年前の母の鏡台です!

 
これは母が使っていた「鏡台」です。
長男の家の三階物置で撮ったものです。背面と正面ですが新しいタオルがガラス面に掛けられていますね!

この鏡台は、よく処分されずにすんだと思います。多分、昭和60年頃、父が連れ合いに処分されそうになったので、
東京・保谷市から自転車に積んで所沢まで持ってきてくれたことを思い出します。
これも昭和12年頃のものだと思われます。

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