最近の浜松市の歴史情報
2010・1・16
曳馬公民館の「郷土史研究会の今年初めての例会だった。
浜松市博物館学芸員・太田好治氏による出前講座である。
まず、静岡空港の建設工事で、今の滑走路の真下に「堂ヶ谷遺跡」が発掘されて
いくつかの銅鐸が出土した、という話から始まり、「遠江」<とうとうみ>の地名の言われや
明治23年頃の浜松市の地割、「敷知郡」<ふちぐん>、長上郡<ながかみぐん>、豊田郡
<とよだぐん>などが南北に縦割りに区切られていて、馬込川ぞいで区切られていたわけでは
ないそうで、今の早出町などは馬込川をはさんで両側にあったようだ。

遠江は、京都に府があったころ、琵琶湖周辺を「近江」<おうみ>といい、浜名湖を「遠江」と
呼んだという。つまり、琵琶湖は、京都から近い「淡海」から「近江」になったらしい。
そして、浜名湖は、京都から遠い「淡海」ということで「遠海」→「遠江」となったらしい。
遠江という地名は、明治23年頃から続いているという、もう120年以上も伝わっているのである。

それに地震を起こす地下断層の話で、浜松付近では水窪から浜松曳馬を結ぶ線上に断層が
あるという、それをこころして、これからもお住まいくださいということだった。


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