長男のこと
2007・4・21
私の長男は、今年44歳になる。私が25歳のときの子供で、東京・志村小豆沢の病院で生れた。
その長男が工業高校を卒業し、家庭を持ち、子供も産まれた。長男は、高校を卒業後、車整備の
会社に勤めたが、そこを辞めてトラックの運転をしていた。そして、アパート生活であった。
自分に子供ができてみて気がついたのかもしれない、私に相談があった。

今のトラックの運転手という職業に疑問をもってきたらしい。別の職業を考えているが、どうしたら
よいだろうか?というものだった。私は、即座に答えた「高校も工業高校を卒業したのだから、私と
同じ機械設計の仕事はどうだろうか?」と、しかし、高校で習っただけの設計の仕事は、すぐにはで
きそうもないことはわかっていたが、長男も家族の生活がかかっているので、そのことが引っかか
っているようだった。

そこで、私は提案した、「機械設計事務所」に勤めないかと。その頃、私の仕事も機械設計であった
し、その仕事場に協力設計事務所が数社入っていて、その中でも規模の大きく信頼性の高い事務
所の社長に相談した。そうしたら、長男を引き受けてくれると言ってくれた。ある程度の期間、約1年
位は収入的にきついだろうけど、失業保険などでつないでもらえば何とかなるのでは・・ ということで、
長男も決断してくれた。

このことは、私にとっても非常に嬉しいことであった。自分と同じような職業を選んでくれたことに感謝
したい気持であった。そして、ありがたいことに、その社長は、長男を私の勤めていた社内に派遣社
員として出向させてくれた。これによって長男は、機械設計の仕事を覚えながら収入を得られた。
これは、本当にありがたい措置であった。CAD<コンピュータ設計>も少しづつ覚えることができた
ようである。

こうして、長男は今では自分の設計事務所を持ち、生活も何とか質素な生活を続けていく基盤はで
きてきたようで、私も安堵している。また、その後、住まいのことでも相談があった。
今のアパート住まいから脱却したいというものであった。私は、四男と一緒に浜松で生活していたし、
持ち家の所沢の家には戻るつもりもなかったので、長男にその家に住むことを提案した。

ニ所帯住宅に改装して、私の子供である、次男、三男が住めるようにするということが条件ではあった
が・・  長男は、それに応じた。また、その改装費用は長男が持つことを承諾した、そのことによって、
この家・土地は長男に相続することも決めたのである。

こうして、今では、アパートの一室ではあるが、事務所をかまえてしっかりとやっているようである。
本当に親として嬉しいことである!


2007・4・4、フィリピン家族旅行の船上にて

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